F3チャンピオン獲得とF1デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:26 UTC 版)
「ステファン・ヨハンソン」の記事における「F3チャンピオン獲得とF1デビュー」の解説
1980年春、突如F1のシャドウチームから声が掛かり、開幕から2戦(アルゼンチン・ブラジル)にエントリーしたが、シャドウF1活動末期の全くポテンシャルの無い状態で、この時は何れも予選不通過に終わる。後年のインタビューで「この時シャドウからのオファーを受けたのは失敗だった。F1マシンも全く未経験で、さらに悪いことにチームメイトのデビッド・ケネディ(英語版)に予選タイムで負けてしまったことでこれ以後僕へのオファーを躊躇したというチームマネージャーも1人や2人では無かったと聞いている。事前の準備が無さすぎたのにF1と言うだけで飛びついてしまった。」と述べている。 この年の主な参戦カテゴリーはイギリスF3であり、そこでは6勝を挙げてチャンピオンを獲得。所属チームは後にF1マクラーレンチームを運営することになる、ロン・デニス率いる「プロジェクト4」であった。同年のイギリスF3はランキング9位にナイジェル・マンセル、同10位にエディ・ジョーダンも参戦していた。 なお、マカオグランプリのF3レースには1984年に初参戦し2位を獲得している。さらにF1参戦後の1988年にも出場し8位になった。なおマカオではF3だけでなくツーリングカーによるギアレース、2013年にはマカオグランプリ60周年記念のマスターズレースにも出場している。
※この「F3チャンピオン獲得とF1デビュー」の解説は、「ステファン・ヨハンソン」の解説の一部です。
「F3チャンピオン獲得とF1デビュー」を含む「ステファン・ヨハンソン」の記事については、「ステファン・ヨハンソン」の概要を参照ください。
- F3チャンピオン獲得とF1デビューのページへのリンク