ERM離脱以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 20:05 UTC 版)
ポンドはその後も1995年まで減価を続けた。 ジョージ・ソロス率いるヘッジファンドは10億〜20億ドル程度の利益を得たといわれる。 翌年の1993年には欧州各国に通貨危機が飛び火し、ERMは大幅な再編を迫られることとなった。1992年9月のERM離脱によりイングランド銀行および大蔵省は不名誉な敗北を喫した格好に見えたが、1992年の下半期からイギリス経済は他の西欧諸国に先がけて景気回復に向かい、1993〜1994年と順調な拡大を続けた。 その原動力になったのが1992年9月・ERM離脱以降の金融緩和による家計部門の耐久消費財支出の伸張であり、ERM離脱以降、ポンドが主要国通貨に対して大幅に減価したことによりイギリス製品の価格競争力が高まったことなどから輸出は大きく拡大した。1997年には同様にヘッジファンドによる通貨空売りが東南アジアで発生しアジア通貨危機となった。 ERMはポンド危機による再編後、1999年には統一通貨ユーロへと結実している。だがリーマンショック後のユーロ圏はPIIGS諸国をはじめ多くの労働者を失業という苦境に追い遣っている。なお、イギリスはこのユーロに2019年現在も参加していないが、大陸欧州との通貨統合の試みにより不名誉をこうむったポンド危機の記憶と無関係ではない。ソロスの動機はもちろん収益を上げることであり英国を救うというものではなかったが結果的に英国をユーロ圏の外に位置させることになった。
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