D1グランプリの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:51 UTC 版)
「全日本プロドリフト選手権」の記事における「D1グランプリの誕生」の解説
D1グランプリの起源は、1995年に土屋圭市・稲田大二郎により開催された「ドリフト統一チャンピオン決定戦」である。当時の主要なドリコンであった「STCC」、「ドリコンGP」、「いかす走り屋チーム天国」(いか天)の優秀選手が参加し、統一された審査基準の下でドリフトの腕前を競った。これをきっかけとして、それまで存在しなかった「統一したルールによる、トップ選手によって競われるドリフト大会」という概念が生まれ、その後同様のコンテストが数度単発で開催された。 2000年、「全日本プロドリフト選手権」として初のプロドリフトイベントがエビスサーキットで開催され、優勝には50万円の賞金がかけられて行われた。それまでにも全国の強豪ドライバーを集めて優勝を競う単発のイベントは行われていたが、賞金をかけて行われたのはこの大会が初めてのことであった。開催にあたっては「ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化にしよう」という意図があり、土屋曰く「最初のうちはOPTIONやV-OPT)での仕事の斡旋も考えていたが、お金を払って見る価値が出来た」とのことである。 2001年、「D1グランプリ」の名称でこの年からシリーズが開催された。第1-3戦は観客を入れずビデオオプションの収録として行われていたが、第4戦エビスから観客を動員して開催されるようになった。
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