Camille-Marie Stamatyとは? わかりやすく解説

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スタマティ

【英】:Stamaty, Camille Marie

執筆者: 上田 泰史 

1820年代から30年代にかけて、パリには輝かし成功求めてヨーロッパ中からショパンリストタールベルクをはじめとしたピアノ名手たちが押し寄せた大概音楽史書を紐解けば、彼らの名前やその功績記されているが、一方で19世紀前半生まれたフランス人ピアニストたちの存在は殆ど歴史暗がり葬られている。しかし、実際にサン=サーンスドビュッシーへと連なる輝かしフランス流派(エコール・フランセーズ)が存在したことをこの機会思い出してみよう。パリ指導的な役割担い後続世代多大な影響及ぼしたフランス主要なピアニスト作曲家として、P.-J.-G.ヅィメルマン(1785~1853)とF. カルクブレンナー(1785~1849) が挙げられる。彼らはいずれパリ音楽院出身で、前者同音楽院教授後者著名なピアノ教師として多く傑出した生徒育て上げた。カミーユ・スタマティはカルクブレンナー高弟であり、弟子サン=サーンスを持つ。

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽

管弦楽ピアノ


カミーユ=マリー・スタマティ

(Camille-Marie Stamaty から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:10 UTC 版)

カミーユ・マリー・スタマティCamille-Marie Stamaty1811年3月13日 ローマ - 1870年4月19日 パリ)は、フランス人のピアニスト、ピアノ教師、また主にピアノの曲と練習曲を書いた作曲家。今日ではほぼ忘れ去られているが、彼は19世紀のパリにおいては高名なピアノ教師であった。彼の最も有名な弟子はゴットシャルクサン=サーンスである。


  1. ^ The Stamaty Family, drawing, Naef 217, 46.3 cm x 37.1 cm, inv. RF4114, パリ, ルーブル美術館
  2. ^ ショーンバーグ カルクブレンナー―スタマティ派をこうした言葉で説明するのに、理由がないわけではないのだ。フランスのピアニストは、カルクブレンナー、エルツ、スタマティに根ざす、軽く、流れるようなヴィルトゥオーゾ的技巧派に属する。それは上品ながらも外面的に過ぎる。Harold C. Schonberg, The Great Pianists, Revised and Updated. (New York: Simon & Schuster, 1987), p.290.
  3. ^ アントワーヌ・マルモンテル, Les Pianistes Célèbres, (Paris: Imprimerie Centrale des Chemins de Fer A. Chaix et Cie., 1878), pp. 214-225. マルモンテルはスタマティに関して、ほぼ唯一の良質の記録を残している。マルモンテルは自書に登場する全てのピアニストを賞賛する傾向にあるが、彼はスタマティとは個人的に面識がある上、彼自身のピアニスト、ピアノの教授という立場から、スタマティとその一派の権威と対談を行っている。さらに、彼はスタマティの作品に精通している
  4. ^ Marmontel (1878), p. 216
  5. ^ ショパンの書簡より、カルクブレンナーが自分の弟子、後継者になれるピアニストを実際に探していたことは明らかである。1831年12月12日にショパンは故郷ポーランドの友人へ次のように書き送っている。「親しくなると彼(カルクブレンナーを指す)は私に三年間自分の下で学ばないかと提案してきました。彼は絶対に私から何かを引き出してみせるといってくれました。(引用中略)彼はよく調べた後、私には流儀がない、今は素晴らしい道を歩んでいるが、いつか脇に転がり落ちるかねない、と言いました。彼が亡くなるか演奏活動を止めてしまいでもすれば、その偉大なピアノフォルテの流儀を代表するような者はいなくなってしまうことでしょう。」 (Chopin 1931), pp. 154-55
  6. ^ Moritz Karasowski, Frederic Chopin, His Life and Letters (London: William Reeves, without date(probably 1880)), pp. 231-5 and pp. 241-5, especially p. 241
  7. ^ C.E. Hallé and Marie Hallé, Life and Letters of Sir Charles Hallé. (London: Smith, Elder, & Co. 1896), pp. 30-31
  8. ^ a b Marmontel (1878), p. 218
  9. ^ Marmontel (1878), p. 218. マルモンテルはこう記している。「スタマティは右腕、つまり代理教師となった。カルクブレンナーは自分の授業以外ではほとんどレッスンを行わず、生徒には彼が選んだ教師が教えていたが、それはいつもスタマティであった。」
  10. ^ メンデルスゾーンの家族からの手紙より、スタマティがメンデルスゾーンと共に学んでいたことは明らかである。時折、スタマティがロベルト・シューマンからもレッスンを受けていたという主張が見られるが、現在までのところそれを示す証拠は見つかっていない。
  11. ^ Dr. Ferdinand Hiller, Mendelssohn – Letters and Recollections. (London; Macmillan and Co. 1874)., p. 106
  12. ^ (Hiller 1874), p. 107.
  13. ^ Sebastian Hensel, The Mendelssohn Family (1729-1847), From Letters and Journals. Second Revised Edition. Vol. II. (New York: Harper & Brothers 1881). p. 20
  14. ^ Marmontel (1878), p. 219.
  15. ^ 老年期になったサン=サーンスはいくらか反抗的な書き方をしている。私がスタマティといた経験から得た最も有意義なものは、彼が私の作曲の教師としてあてがったMaledenを知り合ったことだった。 参照: Camille Saint-Saëns, Musical Memoirs. (Boston: Small, Maynard & Company, 1919), p. 28.
  16. ^ (Marmontel 1878), p. 219
  17. ^ Vernon Logginsが記すところによると、スタマティは11歳のサン=サーンスがサル・プレイエルでデビューコンサートを行った後、彼を全ヨーロッパを巡る演奏旅行に連れて行こうとしたが、サン=サーンスの母がそれを全く認めなかったのだという。Logginsによれば、その結果続いてしまった(訳注:サン=サーンスの母との)争いによってスタマティは病んでしまい、ローマに行って修道院へ1、2年避難することを余儀なくされた。これが彼の勘違いを打ち砕いた。スタマティは決して経営者タイプとは言えず、彼がレオポルト・モーツァルトやMaurice Strakoschのように旅の引率者として神童を引き連れ歩く構図は想像しにくい。ヴァーノンの街は彼の要求に適わず、スタマティのローマへの旅は思わしくない期間(二年間)に渡ってしまった。このように、新たな研究は異を唱えているが、我々は突然の母の死(1848年)の後にスタマティが病気に罹り、単純に幼少期からよく知っていた土地であるローマへと、しばらく外出していたのだと考えなくてはならない。(Loggins, 1958), p. 60.
  18. ^ Cyril Ehrlich, The Piano, A History. Revised Edition. (Oxford: Clarendon Press, 1990), pp. 22-23.
  19. ^ Marmontel (1878), p. 221
  20. ^ Saint-Saëns (1919), pp. 9-10


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