CEV Moto2クラスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:43 UTC 版)
「小山知良」の記事における「CEV Moto2クラスへ」の解説
2011年シーズン、小山は富沢祥也が生前所属していたCIPチームより、スペインロードレース選手権(CEV)Moto2クラスに参戦、グランプリ復帰を目指してシリーズを戦うこととなった(これは125ccクラスの年齢制限の関係で、2011年シーズンが小山にとっては125ccでチャンピオンを狙う最後のチャンスである為、戦闘力の劣るマシンで出ることを良しとしなかった事、故にmoto2へのステップアップを視野に入れる必要が合った事、CIP代表のアラン・プロネックとはアジョ時代から親交がある上、小山のマネージメントを担当しているのが生前の富沢のマネージメントをしており、アランとも親交のあった上田昇であったといういくつかの要因が重なる形で決断したという)。さらにCEVと並行する形で全日本ロードレースにも復帰し、J-GP2クラスに参戦している(マシンは昨年グランプリmoto2クラスでカレッタ・テクノロジーが使用していたICP製シャーシを使用していたが、第5戦のスポーツランドSUGOよりTSRのTSR6へと変更している)。さらにケナン・ソフォーグルの代役として、第13戦サンマリノ、第14戦アラゴンへ、第15戦日本にはワイルドカード参戦という形で世界選手権moto2クラスにも参戦した。しかしながら自身の小柄な体型が起因すると思われるフロントのチャタリングを越えたバウンドにCEV、全日本、MotoGPともに悩まされる結果となり、シーズン終盤に解決策を見出したものの満足の行く結果を残す事が出来なかった。 2012年はスペインのH43へと移籍し、CEVへと継続参戦する事となった。マシンは前年に全日本で使用していたICP製シャーシを使用する。なおCEVでのタイトル獲得に集中したいという理由で全日本選手権には参戦しない予定である。
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