Battle of Fort Loyalとは? わかりやすく解説

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ロイヤル砦の戦い

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:49 UTC 版)

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ロイヤル砦の戦い
ウィリアム王戦争中

ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン
(サンキャスタン男爵)
1690年5月20日 - 1690年5月21日
場所 フォルマスネック(現在のメイン州ポートランド)
北緯43度39分41.3秒 西経70度15分19.1秒 / 北緯43.661472度 西経70.255306度 / 43.661472; -70.255306座標: 北緯43度39分41.3秒 西経70度15分19.1秒 / 北緯43.661472度 西経70.255306度 / 43.661472; -70.255306
結果 フランスとアベナキ同盟の勝利
衝突した勢力
ヌーベルフランス
アベナキ同盟
ニューイングランド
指揮官
ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエール、ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン シルヴァヌス・ディヴィス
戦力
400人から500人規模の部隊及びインディアン兵 不明
被害者数
不明 戦死200人
フォルマスネック(ポートランド)
メイン州

ロイヤル砦の戦い(Battle of Fort LoyalまたはLoyall)は、1690年5月20日に行われたウィリアム王戦争中の戦闘である。ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエールとジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタンが、自らの連隊のみならず、アベナキ同盟のインディアン(ニューブランズウィック、メデュクティクのミクマク族とマリシート族)を率いて、当時はマサチューセッツ湾植民地の一部であったファルマスネック(現在のメイン州ポートランド)のイングランド人集落を襲ったものである。

ここの駐屯隊の隊長は大尉のシルヴァヌス・デイヴィスであった。デイヴィスは1680年、フォルマスでインディアン戦争に備えた任務に着いたが、1690年に捕虜となり、翌年ニューイングランドに戻った[1]。この戦闘から2日後、集落にあったロイヤル(Loyal、Loyallとも綴る)砦は陥落した。集落の家屋や建物と、砦柵をめぐらせたロイヤル砦とが焼き払われ、人々は殺害されあるいは捕虜となった。カスコにあったこの砦の陥落により、メインの人口は減少した。このため、インディアン軍は、ニューハンプシャーとメインとの境界を、何ら報復されることもなしに襲撃することができた[2]

歴史的背景

1775年当時のフォルマスネックの地図

フォルマスにできた初めての駐屯地がロイヤル砦であった。1678年当時、この砦はインディアストリートの起点にあり、ウィリアム王戦争が続いていた1689年9月21日ベンジャミン・チャーチアカディアに遠征する際に、フォルマスにとどまろうとするイングランド系住民を、250人部隊と共に守った場所でもある。この時、兵士21人がインディアンに殺されたものの、チャーチはこの防衛に成功し、インディアンたちは撤退した[3]。その後チャーチは、無防備なイングランド系住民の一団を残してボストンへ戻った[4]。エルテルは1690年にフロンテナック総督から、メインとニューハンプシャーの境界にあるサーモンフォールズの襲撃の指揮を命じられ、成功を収めた[5]。その後、エルテルはロイヤル砦の攻略にフォルマスネックに向かった。

戦闘

ベンジャミン・チャーチ

1690年5月、フレニエールとサンキャスタンが率いる、400人から500人規模のフランスとインディアンの軍勢が[6]、フォルマスネックのイングランド系住民の集落を襲った。軍勢と住民の人数差は歴然としており、住民は4日間持ちこたえた末に降伏した。最終的に200人が殺され、遺体が山となって積まれた。1716年に新たなインディアン戦争が始まった時、フォルマスネックの行政官は、この大敗を再び繰り返すよりはましだということで、砦を壊し、駐屯隊を撤退させることにした[7]

イングランド系住民のその後

1690年の夏の終わり、チャーチはフォルマスに戻って来て、遺体を埋葬した[8]。 連行された100人の捕虜の中には、ニューイングランドの住民ジェームズ・アレクサンダーもいた[9]。アレクサンダーとジョン・ガイルズは、セントジョン川に沿った、ニューブランズウィックのメデュクティクのインディアン集落にある、マリシート族の拠点に連れて行かれた[10]。イングランド人漁師数人に友人を殺されたミクマクの2家族が、遠路はるばる、捕虜たちに復讐をしようとやって来ており、伝えられるところによると、彼らはイングランド系住民を殺して、その回りで大声で叫び、かつ踊った。そして遺体を空中に放ってから投げ出し、髪の毛をつかんで遺体を叩いた。しばしば、斧を使って叩くこともあった。インディアンたちは終日これを行い、捕虜にも踊りかつ歌うように無理強いした。夜には彼らは疲れ切ってしまっていた。この、拷問的行為を2回やらされたアレクサンダーは森へと逃げたが、空腹に勝てず再び捕えられた。彼がその後どうなったかは不明である[11]

ディヴィスは捕虜として4カ月をカナダで過ごした、フォルマスと、やはりメインの集落であるアロウシックは、それぞれ、1714年1716年まで無人のままだった[12]

脚注

  1. ^ III Mass. Hist. Soc. Coll., Vol. I, page 101. Savage.
  2. ^ Guy Chet; p. 82(文献名不明)
  3. ^ Drake, The Border Wars of New England, p. 33
  4. ^ The History of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
  5. ^ The Attack on Salmon Falls - British Redcoats and Regiments of the British Empire
  6. ^ Webster, John Clarence. Acadia at the End of the Seventeenth Century. Saint John, NB, The New Brunswick Museum, 1979
  7. ^ http://www.downeast.com/magazine/2010/may/casco-forgotten-forts
  8. ^ The history of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
  9. ^ The old Meductic Fort and the Indian chapel of Saint Jean Baptiste: paper read before the New Brunswick Historical Society (1897), p. 7
  10. ^ Tragedies of the Wilderness," 84.
  11. ^ The New England Captives Carried to Canada by Emma Louis Coleman, p. 199
  12. ^ http://www.davistownmuseum.org/publications/volume3.html#sylvina

参考文献


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