ロイヤル砦の戦い
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ナビゲーションに移動 検索に移動ロイヤル砦の戦い | |||||||
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ウィリアム王戦争中 | |||||||
![]() ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン (サンキャスタン男爵) |
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衝突した勢力 | |||||||
ヌーベルフランス アベナキ同盟 |
ニューイングランド | ||||||
指揮官 | |||||||
ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエール、ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン | シルヴァヌス・ディヴィス | ||||||
戦力 | |||||||
400人から500人規模の部隊及びインディアン兵 | 不明 | ||||||
被害者数 | |||||||
不明 | 戦死200人 | ||||||
ロイヤル砦の戦い(Battle of Fort LoyalまたはLoyall)は、1690年5月20日に行われたウィリアム王戦争中の戦闘である。ジョゼフ=フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエールとジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタンが、自らの連隊のみならず、アベナキ同盟のインディアン(ニューブランズウィック、メデュクティクのミクマク族とマリシート族)を率いて、当時はマサチューセッツ湾植民地の一部であったファルマスネック(現在のメイン州ポートランド)のイングランド人集落を襲ったものである。
ここの駐屯隊の隊長は大尉のシルヴァヌス・デイヴィスであった。デイヴィスは1680年、フォルマスでインディアン戦争に備えた任務に着いたが、1690年に捕虜となり、翌年ニューイングランドに戻った[1]。この戦闘から2日後、集落にあったロイヤル(Loyal、Loyallとも綴る)砦は陥落した。集落の家屋や建物と、砦柵をめぐらせたロイヤル砦とが焼き払われ、人々は殺害されあるいは捕虜となった。カスコにあったこの砦の陥落により、メインの人口は減少した。このため、インディアン軍は、ニューハンプシャーとメインとの境界を、何ら報復されることもなしに襲撃することができた[2]。
歴史的背景
フォルマスにできた初めての駐屯地がロイヤル砦であった。1678年当時、この砦はインディアストリートの起点にあり、ウィリアム王戦争が続いていた1689年9月21日、ベンジャミン・チャーチがアカディアに遠征する際に、フォルマスにとどまろうとするイングランド系住民を、250人部隊と共に守った場所でもある。この時、兵士21人がインディアンに殺されたものの、チャーチはこの防衛に成功し、インディアンたちは撤退した[3]。その後チャーチは、無防備なイングランド系住民の一団を残してボストンへ戻った[4]。エルテルは1690年にフロンテナック総督から、メインとニューハンプシャーの境界にあるサーモンフォールズの襲撃の指揮を命じられ、成功を収めた[5]。その後、エルテルはロイヤル砦の攻略にフォルマスネックに向かった。
戦闘
1690年5月、フレニエールとサンキャスタンが率いる、400人から500人規模のフランスとインディアンの軍勢が[6]、フォルマスネックのイングランド系住民の集落を襲った。軍勢と住民の人数差は歴然としており、住民は4日間持ちこたえた末に降伏した。最終的に200人が殺され、遺体が山となって積まれた。1716年に新たなインディアン戦争が始まった時、フォルマスネックの行政官は、この大敗を再び繰り返すよりはましだということで、砦を壊し、駐屯隊を撤退させることにした[7]。
イングランド系住民のその後
1690年の夏の終わり、チャーチはフォルマスに戻って来て、遺体を埋葬した[8]。 連行された100人の捕虜の中には、ニューイングランドの住民ジェームズ・アレクサンダーもいた[9]。アレクサンダーとジョン・ガイルズは、セントジョン川に沿った、ニューブランズウィックのメデュクティクのインディアン集落にある、マリシート族の拠点に連れて行かれた[10]。イングランド人漁師数人に友人を殺されたミクマクの2家族が、遠路はるばる、捕虜たちに復讐をしようとやって来ており、伝えられるところによると、彼らはイングランド系住民を殺して、その回りで大声で叫び、かつ踊った。そして遺体を空中に放ってから投げ出し、髪の毛をつかんで遺体を叩いた。しばしば、斧を使って叩くこともあった。インディアンたちは終日これを行い、捕虜にも踊りかつ歌うように無理強いした。夜には彼らは疲れ切ってしまっていた。この、拷問的行為を2回やらされたアレクサンダーは森へと逃げたが、空腹に勝てず再び捕えられた。彼がその後どうなったかは不明である[11]。
ディヴィスは捕虜として4カ月をカナダで過ごした、フォルマスと、やはりメインの集落であるアロウシックは、それぞれ、1714年と1716年まで無人のままだった[12]。
脚注
- ^ III Mass. Hist. Soc. Coll., Vol. I, page 101. Savage.
- ^ Guy Chet; p. 82(文献名不明)
- ^ Drake, The Border Wars of New England, p. 33
- ^ The History of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
- ^ The Attack on Salmon Falls - British Redcoats and Regiments of the British Empire
- ^ Webster, John Clarence. Acadia at the End of the Seventeenth Century. Saint John, NB, The New Brunswick Museum, 1979
- ^ http://www.downeast.com/magazine/2010/may/casco-forgotten-forts
- ^ The history of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, pp175-176
- ^ The old Meductic Fort and the Indian chapel of Saint Jean Baptiste: paper read before the New Brunswick Historical Society (1897), p. 7
- ^ Tragedies of the Wilderness," 84.
- ^ The New England Captives Carried to Canada by Emma Louis Coleman, p. 199
- ^ http://www.davistownmuseum.org/publications/volume3.html#sylvina
参考文献
「Battle of Fort Loyal」の例文・使い方・用例・文例
- 米国のメキシコとメキシコ系のアメリカの共同体で1862年にプエブラのBattleのフランス人に対するメキシコの勝利を記念するのが観測される5月5日
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
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