Battle of Creteとは? わかりやすく解説

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クレタ島の戦い

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/10 05:14 UTC 版)

クレタ島の戦い(クレタとうのたたかい、英語: Battle of Crete)は、第二次世界大戦中の地中海攻防戦における一局面[4]1941年(昭和16年)5月20日から6月1日にかけて、空挺部隊降下猟兵)を主力とするドイツ軍と、ギリシャクレタ島を防衛するイギリス軍イギリス連邦オーストラリア軍ニュージーランド軍およびギリシャ軍からなる連合国軍の間で戦われた戦闘を指す(クレタ島攻防戦、両軍部隊一覧)。ドイツ軍はメルクール作戦 (Unternehmen Merkur) と呼んだ[5][注釈 1]




注釈

  1. ^ ギリシャ神話の商業・盗賊の神メルクリウスに由来する。二次資料によってはマーキュリー作戦と表記する[6][7]
  2. ^ 第二七、トリポリその他西地中海の海戰[10] ギリシヤ撤退のイギリス船團は息つく間もない程ドイツ機に襲撃された。四月廿七日には巡洋艦一隻が撃沈され、二隻が損傷を蒙った。五月八日イタリー空軍は偵察機の索敵によつて西地中海に於て主力艦二隻、航空母艦一隻、巡洋艦、驅逐艦多數に護送された大船團が移動中なるを認め、直に驅逐機、雷撃機の編隊を以てこれを攻撃し、巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及び大型商船に直撃彈を浴せ、續く爆撃機は主力艦一隻、航空母艦一隻並に大型商船二隻に命中彈を與へた。イタリー空軍はこの攻撃に滿足せず、同日晝夜二回に亙つて雷撃機を出動せしめて同船團を攻撃し主力艦一隻、航空母艦一隻に損傷を與へた。又エーゲ海に於てもイギリス巡洋艦に對して魚雷を見舞つてゐる。十一日にもイタリー空軍は西地中海でイギリス艦隊を攻撃損傷を與へた。
     かく引續くイタリー空軍の猛攻によるイギリス艦隊の損傷に就いて十四日のアルヘシラス電はジブラルターに入港したイギリス艦隊に就いて「一航空母艦の艦載機はその半數を粉碎され、艦橋も大損害を被つてゐる外、一巡洋艦の砲塔は全壊し、又一隻の小型巡洋艦も大破の模様である。」と報じてゐる。廿一日東地中海でイギリスの甲級巡洋艦にイタリー雷撃機が魚雷を命中せしめたのはイタリー空軍の殊勲であつた。廿二日にはドイツ、イタリーの兩空軍が共同して東地中海にイギリス艦隊を襲撃し、主力艦一隻、巡洋艦六隻、驅逐艦一隻に直撃彈を浴せ多大の戰果を収めた。これによつてイギリスの七千トン級の二巡洋艦は沈没したのである。空爆に次ぐ空爆によつて東地中海艦隊は開戰以來の大損傷を受けたが、かくの如く熾烈な攻撃を繰返したのは、ドイツが如何に地中海作戰に主力を注ぎイギリスの制海權を奪つてこの方面からの糧食、燃料の補給路を遮断しようと努力してゐるかゞ窺はれる。
  3. ^ a b c 第二五、クリート島爭奪戰[16] 獨・伊と英とが死物狂ひになつて爭奪戰を演じたクリート島は地中海の天目山である。單にギリシヤ國王がこゝに蒙塵したからこれをイギリスの手から奪取してギリシヤ戰線のピリオドを打つといふやうな生やさしものではない。/ クリート島からアレキサンドリア港までは空路五〇〇粁ドイツ空軍がクリート島に完備した基地を設置すれば大型爆彈や、魚雷を抱いた爆撃機は鵬翼を連ねてアレキサンドリアを襲ひ、スエズを襲つて悠々歸還出來る。さうなるとアレキサンドリアのイギリス艦隊は港内に止まるを得なくなり、從つて東地中海におけるイギリスの制海權は失はれ、東洋との交通は遠く喜望峯を迂回するか、大西洋から西廻りするより外なくなるのだ。/ ギリシヤが未だ余喘を保つてゐた三月の末頃イギリス地中海艦隊はクリート島のスダ灣を根城として暴威を振つてゐた。三月廿六日、イタリー艦隊は夜陰に乗じてスダ灣に奇襲を試み碇泊地中のイギリス艦隊に砲撃を加へ一隻を撃沈したと公表してゐるが、これは廿八日夜の遭遇戰の前哨戦であつた。
     夜襲とは小癪なとイギリス艦隊も腹を立て奮然攻撃に出たものと解される。イタリーの發表では、この海戰で「中型巡洋艦三隻、驅逐艦二隻、合計五隻を失つたが、敵方の大型巡洋艦一隻の側に大型砲彈を命中せしめて撃沈し、外他の二隻にも大損害を與へた」と言つてゐる。これに對してイギリスは「廿八日の海戰においてイタリーのリツトリオ級主力艦(三五,〇〇〇トン)一隻に損害を與へ、巡洋艦二隻に致命的打撃を與へた」と公表してゐる。夜の海戰の事であるから戰果について的確な數字を擧げ得ないのは當然であらうが、彼此綜合して見るとイタリーの巡洋艦三隻は大損害を受けて基地に歸る途中沈没したものであらう。乗組員の多數が救助されたと發表してゐるのはそのためだと思はれる。イギリスは自國艦隊の損害沈没については一切口を緘してゐるし、海戰の模様に就いても何も語つてゐないが、これだけの犠牲を出したのであるから相當大掛りな海戰で、激闘が交へられた事は想像に難くない。
  4. ^ バルバロッサ作戦のこと。
  5. ^ 独ソ戦の成功が見通せるまでギリシャを含むバルカン半島を局外に置くドイツ軍の構想は、ユーゴスラビア侵攻(1941年4月)で崩れていた[15]
  6. ^ ただし1941年(昭和16年)3月25日深夜から26日未明のスダ湾襲撃では、イタリア海軍の駆逐艦2隻(クリスピィセラ)から特別攻撃艇6隻が発進して特殊作戦を実施[22]、クレタ島スダ湾在泊の英重巡洋艦ヨーク (HMS York, 90) とタンカー1隻を大破着底させた[23]
  7. ^ オランダにおける戦い (1940年)およびベルギーの戦いを参照。特にエバン・エマール要塞の戦いが名高い。
  8. ^ マチルダII歩兵戦車など約20両。
  9. ^ 当時の空挺降下はピストルクラスの小火器と手榴弾程度を携行し、小銃他重火器は別にまとめて投下する事が基本であったが、このことから兵が降下中に携行できる軽量高火力の支援火器(FG42等)が開発されるきっかけとなった。
  10. ^ カニンガム長官は将旗を戦艦ウォースパイト (HMS Warspite) から陸上にうつし、かわりにローリングス少将がウォースパイトを旗艦とした[31]
  11. ^ 英駆逐艦ジュノーを葬ったのはイタリア王立空軍の爆撃機Z.1007とされる。スツーカによる戦果とする二次資料がある[33]。生存者は僚艦(カンダハル、キングストン、ヌビアン)に救助された[34]
  12. ^ 護衛任務に就くはずだった水雷艇シリオ (Sirio) は故障で参加できず、代理の水雷艇クルタトーネ (Curtatone) は5月20日に機雷に触れて沈没した。そこでルポに役目がまわってきた。
  13. ^ ルポを指揮していたフランチェスコ・ミンベッリ (Francesco Mimbelli) 艇長は功績を評価されて勲章を授与された。彼の名前は。駆逐艦フランチェスコ・ミンベッリ (Francesco Mimbelli,D 561) に引き継がれた。
  14. ^ 英側記録では、キングストンはドイツ空軍の空襲で軽微な被害を受けた。
  15. ^ イタリア軍はサジタリオ艇長の勇敢な行動と輸送船団護衛成功を評価し、勲章を授与した。サジタリオ艇長の名前はコマンダンテ級哨戒艦コマンダンテ・シガーラ・フルゴーシ (Comandante Cigala Fulgosi,P 490) に引き継がれた。
  16. ^ 沈没艦生存者の一部は、枢軸国軍の救難部隊によって救助された[40]
  17. ^ キプリングはアレクサンドリアの手前で燃料切れとなり、敷設艦に曳航されて帰投した[45]
  18. ^ a b c 第二八、地中海海戰總決算[52] この戰果を綜合すると撃沈六隻(巡洋艦五隻、驅逐艦一)魚雷命中九隻(主力艦一、巡洋艦六、航空母艦一、驅逐艦四、その他三)合計計廿六隻に上る沈没及び損傷である。イタリーの觀測ではこれだけの損失を受けてはイギリスも補充の途があるまいと見てゐる。以上の如き打撃によりクリート島攻略の成るに先立つて早くも東地中海におけるイギリスの王座は揺ぎかけて來たかに見えるが、イタリー海軍が勢力減退を來した實情と照し合せると眞に地中海を「イタリーの池」としてしまふのは程遠い先ではあるまいか。世界の注意が焦げつくやうに東地中海に向けられてゐた時、突如として視聴を欹てはのはグリーンランド沖におけるフッド號の爆沈これに引つゞくビスマーク號沈没の飛報であつた。/ 寝耳に水の如き衝撃ではあつたが、ドイツの主力艦が通商破壊に出動中の噂は前々からありこれを捕捉するために、イギリス艦隊がジブラルターに集結中との報道は、地中海に氣をとられて重視されてゐなかつたのである。/ 然しこの海戰は新鋭を誇る主力艦の決戰だけに太平洋の将來戰に多大の示唆を投げ與へるものがある。
  19. ^ ヘレワード乗組員の大部分はクレタ島に辿り着いたり、枢軸軍艦艇に救助されて捕虜となった。
  20. ^ このJu 52は訓練学校教官がパイロットを勤めていた。
  21. ^ 貴重な教官と訓練機の実戦投入はスターリングラード攻防戦でも行われた。

出典

  1. ^ (Greek) page 10, retrieved on 27.5.2010: 474 officers and 10,977 soldiers
  2. ^ Gavin Long, 1953, Official Histories – Second World War Volume II – Greece, Crete and Syria (1st ed.), Canberra: Australian War Memorial, p. 210
  3. ^ a b c d Beevor 1991, Appendix B.
  4. ^ a b c 三野、地中海の戦い 1993, pp. 256–261(3)クレタ島の戦い
  5. ^ Ju87シュツーカ 1983, pp. 44a-45クレタ島(1941年5月20日~6月1日)
  6. ^ a b Luftwaffe 1971, pp. 91a-92クレタ島空挺作戦
  7. ^ a b スミス、Stuka 1974, pp. 106–107"マーキュリー"作戦順調なスタート
  8. ^ a b Luftwaffe 1971, pp. 92a-93連合軍艦船を痛打
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 110–111第二期/一九四一年一月~六月の年表
  10. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 131–132原本239-241頁
  11. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 121a"マーキュリー"作戦輝ける終結
  12. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 105–110ギリシャ情勢とクレタ島をめぐる戦い
  13. ^ a b c d e Ju87シュツーカ 1983, p. 44b.
  14. ^ Luftwaffe 1971, pp. 89–91ユーゴ、ギリシャを制圧
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 【戦史ドキュメント】伊藤裕之助:クレタ降下作戦 緑の悪魔による孤島への大侵攻戦『歴史群像』42号(2000年5月1日、学習研究社)p.33-49
  16. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 129–130原本235-237頁
  17. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 328–330スダ湾への進入
  18. ^ ウォースパイト 1998, pp. 172–173.
  19. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 82–86タラント夜襲
  20. ^ ウォースパイト 1998, p. 182マタパン岬沖海戦(1941年3月28日~29日)
  21. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 98–102マタパン岬沖海戦
  22. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 325–328イタリアの特攻艇
  23. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 330–331突撃、命中!
  24. ^ Luftwaffe 1971, pp. 56–57グライダー部隊が奇襲
  25. ^ Luftwaffe 1971, pp. 50–53空輸部隊と落下傘部隊活躍
  26. ^ a b c d Luftwaffe 1971, p. 92b.
  27. ^ a b Luftwaffe 1971, p. 91b.
  28. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 258.
  29. ^ a b c 撃沈戦記 1988, pp. 331–332重巡ヨークは二度死ぬ
  30. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 107.
  31. ^ a b ウォースパイト 1998, p. 195.
  32. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 108b.
  33. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 108a-109「スツーカ」の牙にかかった「ジュノー」
  34. ^ a b c スミス、Stuka 1974, p. 109b.
  35. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 109a-110イギリス海軍、制海権を奪回
  36. ^ a b c d スミス、Stuka 1974, p. 110b.
  37. ^ a b スミス、Stuka 1974, pp. 110a-111残りすくない対空火器弾薬
  38. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 112b-113おとろえを見せぬ空からの攻撃
  39. ^ a b ウォースパイト 1998, p. 200.
  40. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 113a-115英艦隊を危機に追い込んだカイーク
  41. ^ スミス、Stuka 1974, p. 112b.
  42. ^ スミス、Stuka 1974, p. 115aカニンガム大将の失敗
  43. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 115b.
  44. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 115c-116「スツーカ」の執念、英艦隊に大打撃
  45. ^ a b c スミス、Stuka 1974, p. 116b.
  46. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 116a-117窮鼠(英)に噛みつかれた猫(独)
  47. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 117b.
  48. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 117a-118忍び寄る「スツーカ」の影
  49. ^ スミス、Stuka 1974, p. 118b.
  50. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 336–338「ビスマルク」大西洋へ
  51. ^ ウォースパイト 1998, p. 201.
  52. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 132–133原本241-242頁
  53. ^ a b c スミス、Stuka 1974, pp. 118a-119英軍クレタ島撤退開始
  54. ^ a b スミス、Stuka 1974, p. 119b.
  55. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 119a-120不運を呼んだ「インペリアル」
  56. ^ スミス、Stuka 1974, p. 120b.
  57. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 120a-121壮烈!「スツーカ」第二波攻撃
  58. ^ スミス、Stuka 1974, p. 121b.
  59. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 260.
  60. ^ Ju87シュツーカ 1983, p. 45.
  61. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 261.
  62. ^ Luftwaffe 1971, p. 93b.
  63. ^ Luftwaffe 1971, p. 93aマルタ島猛爆撃
  64. ^ Luftwaffe 1971, pp. 133–136英のマルタ補給を阻止
  65. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 136–137第四期/一九四二年一月~六月まで
  66. ^ Luftwaffe 1971, pp. 136–137ロンメル軍団支援
  67. ^ James Lucas. (2004). Storming Eagles: German Airborne Forces in World War II ISBN 078581602X, 9780785816027



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