Back to Back
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:10 UTC 版)
「テトリス」の記事における「Back to Back」の解説
テトリス(ラインを一度に4列揃える)やT-Spinによるライン揃えを連続して行うとBack to Backボーナスが付与され、通常よりも高い得点・攻撃力が得られる。Back to Backはミノを落とすだけでは途切れず、テトリス・T-Spinのどちらもない通常のライン揃えを行うまで継続する。
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Back To Back
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 03:54 UTC 版)
「1987-1988シーズンのNBA」の記事における「Back To Back」の解説
NBAで最後に連覇を果たしたのは1969年のボストン・セルティックスであり、以後20年近くに渡ってNBAで連覇を果たしたチームは現れなかった。1970年代のリーグの急速な拡張によって1つのチームに優秀な選手が集まることが難しくなり、1980年代に入ってからは新たに導入された制度であるサラリーキャップがより人材の確保を困難にさせ、いつしかNBAでは連覇は不可能とさえ言われるようになった。しかしその「不可能」と言われた連覇に、公然と挑戦するチームが現れた。前季チャンピオンチームのロサンゼルス・レイカーズである。 前季、ファイナルで宿敵セルティックスを破って優勝を飾った後、シャンパンファイト明けのほろ酔い状態で記者会見に臨んだパット・ライリーHCは、大胆にも連覇を宣言。さらに後日の優勝パレードのセレモニーでも連覇を約束した。当時連覇を公言することはとても勇気のいることであり、新シーズンにレイカーズの選手たちは大きなプレッシャーに晒されることとなったが、しかしこれもライリーの狙いであった。リーグでは着々と世代交代が進む中、レイカーズは優勝の余韻に浸り続けることなく緊張感を保って新シーズンを戦い抜き、2シーズン連続でリーグ勝率トップの成績を収めたのである。チーム内ではカリーム・アブドゥル=ジャバーがいよいよ40歳を迎え衰えは隠せなかったが、それでもチームの有力なスコアラーであり、また若手のA.C.グリーンとベテランのマイカル・トンプソンが上手くサポートした。また急成長を見せたのがバイロン・スコットで、彼はこのシーズンジェームス・ウォージーやマジック・ジョンソンを抑えてチームハイの得点アベレージを残している。そしてマジック、ウォージーは変わらず刺激的な"ショータイム"バスケットを展開していた。 好調のレギュラーシーズンを送ったレイカーズだが、しかしプレーオフでは時代の移り変わり、新興チームの台頭を痛感させられることとなった。ウエストはここ数シーズンレイカーズの独走状態が続き、宿敵セルティックスがプレーオフではフィラデルフィア・76ersやミルウォーキー・バックスを降すのに苦労していた一方で、レイカーズは比較的楽にプレーオフを勝ち抜いていた。しかしこのシーズン、レイカーズは1回戦こそサンアントニオ・スパーズをスイープで降したものの、カンファレンス準決勝ではカール・マローンと初めてアシスト王に輝いたジョン・ストックトン擁するユタ・ジャズの前に苦戦した末に、辛うじて第7戦で若いチームの挑戦を退けた。一息つく暇もなく、カンファレンス決勝ではアーク・マグワイアとローランド・ブラックマン擁するダラス・マーベリックスを前にまたしても大苦戦し、やはり第7戦の末に勝利して、ようやくファイナルに進出した。80年代に入ってレイカーズがファイナルまで勝ちあがる上で、ここまで苦労したシーズンはなかった。 兎にも角にも連覇に向けての最低条件であるファイナル進出をクリアしたレイカーズだが、ファイナルの地で彼らを待っていたのは、宿敵セルティックスではなかった。レイカーズのポイントガードとはまた違った微笑を浮かべるポイントガードがチームを率いる、デトロイト・ピストンズだった。
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