Atlasの設置
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「Atlas (コンピュータ)」の記事における「Atlasの設置」の解説
Atlasの第1号機は1962年にマンチェスター大学に設置された。フェランティ・マーキュリーの運用が12月末に終了する予定になっており、設置はこれに間に合わせることが求められた。Atlasは予定通りに設置され、12月7日にAEAのディレクターであるジョン・コッククロフトに正式に引き渡された。このシステムで動作したのは初期バージョンのスーパーバイザだけで、コンパイラはAutocodeだけしかなかった。1964年1月にALGOL 60とFORTRANを搭載したスーパーバイザの最終バージョンがインストールされるまでこの状況は続いた。 1号機は1日20時間の運用スケジュールで1960年代中頃まで使われ、1000本以上のプログラムが動作した。使用時間はマンチェスター大学とフェランティが共有し、フェランティは1時間500ポンドで顧客企業に使わせた。収益の一部は大学のコンピュータ収益基金に返還された。もし仮に大学がコンピュータ時間を民間企業から借りていたら累計で72万ポンドを支払う必要があったと1969年に推計された。このマシンは1971年11月30日に運用を終えた。 フェランティは2台のAtlasを販売しており、1台は1963年にロンドン大学とブリティッシュ・ペトロリアムの合弁企業に、もう1台は1964年12月にイギリス核エネルギー研究所(ハーウェル)に納入された。AEAのマシンは、ハーウェルの敷地からわずか数ヤード離れたチルトンのアトラスコンピュータ研究所に移設され、民有地に設置されて利用しやすくなった。このマシンは拡張され、48ビットで48Kワードのコアメモリと32台のテープドライブを搭載する最大のAtlasとなった。コンピュータ時間はイギリスの全大学が占有できた。1974年3月に運用を終了した。
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