Apple Computer設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:49 UTC 版)
「スティーブ・ウォズニアック」の記事における「Apple Computer設立」の解説
Apple Iの最初の取引で、約8,000ドルの利益を手にした。Apple Iを大量に作って売ろうと考えたジョブズは、アタリ時代のボスであったブッシュネルに相談する。ブッシュネルは、ベンチャーキャピタル会社を紹介するが、ジョブズの話に興味を持てず、マイク・マークラを紹介した。 マークラは、フェアチャイルドとインテルのストックオプションで財を成し、若くして隠遁生活を送っていたが、ジョブズの話に興味を持ち1976年11月にAppleに加わった。マークラは個人資産の92,000ドルを投資し、さらにバンク・オブ・アメリカから信用貸付枠を勝ち取った。1977年1月3日、3人はApple Computerを法人化した。 1977年5月には、ナショナル セミコンダクターからマイケル・スコット(英語版)を引き抜き、彼を社長の座につける。スコットはAppleをより組織的にするため、社員番号を入れた社員証を発行した。社員番号1は、ウォズニアックに与えられたが、ジョブズはこれをスコットに抗議した。社員番号1を与えればジョブズの放漫が増すと考えたスコットはこれを拒んだ。ジョブズは結局、社員番号0(振込先の銀行が0番に対応していなかったので実務上は2)を手に入れることで妥協した。それ以降はマークラは3番、ジョブズをウォズニアックに紹介し最初の従業員となったフェルナンデスが4番である。スコットは5番目の入社であったが、好きな数字である7を社員番号としてもらった。
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