APA-MとCVHA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:31 UTC 版)
「イオー・ジマ級強襲揚陸艦」の記事における「APA-MとCVHA」の解説
ヘリコプターの発達を受けて、アメリカ海兵隊では、これを水陸両用作戦で活用するための研究を進めていた。これはヘリボーンの戦術的な利点を活かすと同時に核戦争への対応策としての面もあり、部隊の集結・散開を迅速に行えるために戦術核兵器の標的になりにくいこと、また放射性物質を含んだ津波の影響も避けやすいことなどが評価された。1947年12月にはシコルスキーR-5を装備する実験飛行隊として第1海兵ヘリコプター飛行隊(HMX-1)が編成され、同機の貧弱な輸送力にも関わらず、1948年5月の上陸演習「オペレーション・パッカードII」では護衛空母「パラオ」を母艦としたヘリボーンを実施して、その有用性を立証した。しかしながら、戦後の軍事予算削減に加えて、水陸両用作戦という作戦形態の将来性が疑問視されたことから、海兵隊のヘリコプターに関する研究はなかなか進捗しなかった。 その後、1950年9月の仁川上陸作戦で水陸両用作戦の価値が実証され、また朝鮮戦争を通じてヘリコプターの有用性が確認されたことから、1951年7月、海兵隊総司令官はヘリコプターによる空中強襲という構想を再検討することにした。これに伴い、その母艦となるヘリ空母も検討されるようになったが、この時点では、攻撃輸送艦(APA)および攻撃貨物輸送艦(AKA)にヘリ空母を組み合わせたものとして、APA-Mと仮称されていた。1954年8月には、大西洋艦隊の水陸両用部隊(PHIBLANT)は、LSTにかえてAKA-Mを建造するように提言した。1955年には、空中強襲というコンセプトについて検討するため、モスボールされていた護衛空母「セティス・ベイ」が強襲ヘリコプター空母 (CVHA) に改装された。これにより、同艦は、世界で初めてヘリコプター運用に適合させて改装された航空母艦となった。
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