A-25とは? わかりやすく解説

A-25(スタディ25)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:58 UTC 版)

「メロディオン」の記事における「A-25(スタディ25)」の解説

初代=1968〜72年。楽譜立て一体型プラスチックケースを初めて採用したモデル。A-25B、A-25Cとマイナーチェンジされた。

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A-25

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 08:08 UTC 版)

「SB2C (航空機)」の記事における「A-25」の解説

第二次世界大戦初期において本格的な急降下爆撃機を保有していなかった陸軍では、海軍の機体を陸軍仕様とすることで機体を調達した。SBDをA-24として調達したのに続き、試作機が初飛行したばかりのSB2Cに対してもA-25として900機の発注を行った。 A-25は海軍型のSB2C-1と基本的には同一の機体だったが、陸上で必要のない着艦フックや主翼の折りたたみ機構が廃止されていた。また、主輪は不整地での運用を考慮して大型化されていた。内部艤装については陸軍仕様に変更されていたが、海軍からの要請により容易に海軍仕様に戻せるようになっていた。 SB2Cが実用へ向けての改修に手間取ったためA-25も実用化が遅れ、初飛行は1942年の9月になってしまった。この頃には陸軍では急降下爆撃機に対する興味が薄れ、一次発注分の900機で生産を中止することとした。生産機については約4分の1をオーストラリア空軍にレンドリースすることにし(実際に引き渡されたのは10機)、残りを配備することとした。最終的には410機が海兵隊に引渡されSB2C-1Aとして使用され、残った機体はRA-25Aと改称され訓練や標的曳航に用いられた。このため、陸軍機としては実戦に参加することなく終わった。 なお、A-25にもカーチス社の攻撃機の伝統とも言える'シュライク(Shrike:モズ科の鳥の総称)'の愛称が与えられている。

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