53-61
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/02 00:32 UTC 版)
「53-61 (魚雷)」の記事における「53-61」の解説
ソビエト連邦では、第2次世界大戦中にレニングラード近郊で撃沈したドイツ海軍のU-250からG7es(TV)魚雷を鹵獲し、これをもとに誘導魚雷の開発に着手していた。これによって開発されたSAET-50型は、1950年よりソ連海軍に引き渡された。またこれとは別に、1950年より、第400研究所によってタービン・エンジンを備える長射程無航跡魚雷の開発が着手されており、これによって開発された53-57型魚雷は1957年に海軍に引き渡された。これらを組み合わせた魚雷として開発されたのが本型であり、1962年より実戦配備された。 本機は、灯油(ケロシン燃料)と過酸化水素酸化剤によるタービン・エンジンを備えている。誘導装置としては、目標の船体および推進器より発生する微細な気泡を追尾するという、いわゆるウェーキホーミング(航跡追尾)方式を採用している。当初はアクティブ型を採用していた。1964年には光学式のS-380型誘導装置が実用化され、これを搭載した53-61M型が開発されたものの、当時の技術では実用性に欠けたことから、1968年より、改良型アクティブ型誘導装置を搭載した53-61MA型に再換装された。
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