5世紀の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 09:37 UTC 版)
エウケリウスによれば、この軍団はローマ帝国の東部、今日のエジプト出身であり、6600人(作者不明版:6660人)全員がキリスト教徒であった。軍団はマウリティウス(Mauritius)が率いていたが、後の伝承では彼は聖槍を所有していたという。他に名を記されて将はエクスペリウス(Exuperius)とカンディドゥス(Candidus)である。作者不明版によれば、3世紀末、ローマ皇帝マクシミアヌス(Maximianus) はen:Bagaudaeとの戦いのためにガリアに派遣した。ところがエウケリウスによれば、以下の事件は303年のキリスト教徒に対する大規模の迫害開始とともに発生したという。 伝説によれば、マクシミアヌスがオクトドゥルム(Octodurum)、今日のマルティニー(Martigny)に陣を敷いた際、戦闘開始の前に部下の将兵に対してローマの神々のために供香することを要求した。マウリティウスとその軍団はそれを拒み、アガウヌム(Agaunum)、今日のサン・モーリス・ダゴーヌ(St. Maurice d’Agaune)に行き、そこに陣を張った。原隊への復帰と供香への要求の後、軍団は罰として、十人に一人を罰する処刑(decimatio)を2回受けた。エウケリウスによると、この処刑の理由は、同じ信仰のキリスト教徒と戦うことを軍団の者が拒否したからである。彼らは抵抗せずに殉教をまさに望んだ。そこでマクシミアヌスは軍団の全員を殺害せよとの命令を発した。兵士らが死者の残した所有物の略奪を行っているときに、ウィクトル(Viktor)という名前のキリスト教徒が通りかかったが、彼は自分がキリスト教徒であると身を明かしたために殺害されたという。隊員のうち2人、聖ウィクトル(St. Viktor)と聖ウルスス(St. Ursus)が逃れてゾロトゥルン(Solothurn)にやって来たが、そこで殺害された。
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