42.195 kmの由来とは? わかりやすく解説

42.195 kmの由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:56 UTC 版)

マラソン」の記事における「42.195 kmの由来」の解説

オリンピックマラソン離開年回次距離1896年 1 40 km 1900年 2 40.26 km 1904年 3 40 km 1906年 (*1) 41.86 km 1908年 4 42.195 km 1912年 5 40.2 km 1920年 7 42.75 km 1924年以降 8 42.195 km (*1) 1906年近代オリンピック制定10周年記念した特別大会 マラソンの距離は42.195 km設定されているが、これは古代マラソン直接由来するものではない。オリンピックマラソン競技実施され当初は、大会ごとの競技距離は一定ではなく(同じコースを全選手が走ることが重要とされていたため)、約40 km行われていた。競技距離が統一されたのは、第8回パリオリンピック以後であり、42.195 km26マイル385ヤード)とされた。この距離は第4回ロンドンオリンピック時の走行距離市街地42 km+競技場200 mトラック1周弱)をそのまま採用したのである第4回ロンドンオリンピックでは、当初国王の住むウィンザー城からホワイトシティ・スタジアム26マイル(41.843 km)で競うこととされていた。この際時の王アレクサンドラが、「スタート地点宮殿の庭で、ゴール地点競技場ボックス席の前に」と注文したために半端な数字の距離(385ヤード)だけ延長されたという逸話がある。もっとも、この説には証拠が見つかっていないとサウサンプトン大学のマーチン・ポリー教授主張している。英国政府観光庁も、スタート地点移動については、「観客参加選手走行邪魔しないように」と述べており、また追加された距離も700ヤードとしている。この大会で最初に競技場到達したイタリア選手ドランド・ピエトリゴール地点勘違いして直前彼の認識におけるゴール)で倒れ役員助力ゴールしたため、のちに失格となったドランドの悲劇)。

※この「42.195 kmの由来」の解説は、「マラソン」の解説の一部です。
「42.195 kmの由来」を含む「マラソン」の記事については、「マラソン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「42.195 kmの由来」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「42.195 kmの由来」の関連用語

42.195 kmの由来のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



42.195 kmの由来のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマラソン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS