3国共同開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:15 UTC 版)
詳細は「YX」を参照 これより少し遡った1966年代後半から、日本はオランダのフォッカーと、YS-11に続く民間航空機を共同開発するための構想を進めていたが、1970年4月にフォッカーに180席クラスの案についての説明をした後、ボーイングにその調査の経過を説明した。ボーイングはここで日本が航空機の国際共同開発を計画していることを知り、日本に対してボーイングとの国際共同開発について提案した。 これを受けて、日本の通商産業省(現・経済産業省)や製造業界では、ボーイングとの共同開発のほうがより大きな市場展開が期待できるだけでなく、世界最大の航空機製造会社からの共同開発申し入れは我が国航空機産業への信認と声望を内外に印象づけるという意見が多勢を占めるようになった。日本では1973年4月1日に民間輸送機開発協会(CTDC)という社団法人を設立し、その後はCTDCが日本側の窓口となってボーイングとの交渉に当たることになった。 前述の通り、ボーイングではすでにアエリタリアとQSHについての共同研究を進めていたが、その研究が進むにつれて、前述の「7X7」案として固まりつつあった時期に、ボーイング・アエリタリア・CTDCの3社共同開発という方針となっていった。
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