24秒の世界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/14 05:51 UTC 版)
「1954-1955シーズンのNBA」の記事における「24秒の世界」の解説
この年、NBA史上でも最も重要なルールが導入される。「ショットクロック(24秒ルール)」である。 ショットクロック導入以前のNBAは、一度リードを奪えばひたすらボールを保持することに時間を費やし、ドリブルやパスを回すだけのシーンが非常に多かった。敵チームにボールを与えてしまう惧れのあるシュートには消極的になり、1試合の平均得点は減少の一途を辿った。前季にはついに80得点を下回る79.5得点となり、プロスポーツとしてのエンターテインメント性は失われ、NBA人気の低迷に繋がった。このような状況を打破すべく、ショットクロックは導入されたのである。 24秒ルールとは「ボールを保持したチームは24秒以内にシュートを打たなければバイオレーションとなり、ボールの保持権が移る」というものである。発案者はシラキュース・ナショナルズのオーナー、ダニー・バイアーソンだった。当初リーグはショットクロックの導入に消極的だったが、オーナー達の圧力に屈し、夏にはプロと高校生の混合チームによる試験試合が行われる。24秒という数字は48分(2880秒)の試合時間で両チームが60回ずつ攻撃できるとう計算から弾き出されたものである。 このルールの導入により、選手とチームは24秒の間に必ず1回はシュートを打つことを強いられることとなった。これによりドリブルやパス回しだけに費やされていた時間が大幅に短縮され、試合のテンポは急速に上昇し、「攻守が目まぐるしく変わる」という現代バスケットの最大の魅力が確立されていくことになる。このショットクロック導入こそが、NBAが発展していく上での一大転換期となった。 ショットクロック元年から電光掲示板による計測と表示が行われ、ゴールの上ではなくコートの隅に設置された。NBAから遅れて2年後の1956年には国際ルール(FIBA)でも30秒ルールとしてショットクロックが採用された。ショットクロックの導入はNBAがルール改正し、他がそれを追随する例の先駆けともなった。
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