2012年 - 2017年:結成、メンバー流動期
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2012年2月に日生劇場で行われていた舞台『ABC座 星(スター)劇場』を観劇していた吉澤・中村・阿部・宮近・梶山の5人と他のジャニーズJr.数人が幕間にリハーサル室に呼ばれ、そこで初めて振付師のトラヴィス・ペインに出会い、レッスンを受ける。そこにはのちに兄組と呼ばれる当時JR.Aとして活動していた仲田・川島・森田・七五三掛の4人もおり、メンバーは初対面を果たす。そしてそこでTravis Japanが結成されたが、その時のメンバーはのちに弟組とも呼ばれる吉澤・中村・阿部・宮近・梶山の5人だけだった。しかしその後、情報局から発行された会報に、兄組と合わせた9人でTravis Japanとして7月からの『PLAYZONE'12 SONG & DANC'N。PARTII。』に出演する旨が書かれており、本人達が増員の事実を知ることになる。 その後も『PLAYZONE』限定で活動していたが、2015年の『近藤真彦 35周年ツアー 2015』のバックダンサーに起用され、それを観に来た松本潤から「あいつらを使いたい」と指名されたことをきっかけに、嵐、タッキー&翼らのバックダンサーを務めるようになる。しかし「兄組」と「弟組」の仲はまだ深まっておらず、2016年5月の『ジャニーズ銀座2016』には「兄組」「弟組」分かれて出演することも検討されたが、『PLAYZONE』シリーズが終わったら仕事が無くなるのではないか、グループとして何かやらなくてはという思いから9人で開催することを選び、その結果、社長や周囲から「9人のダンスがいいよ!」と揃ったダンスが評価され、グループとしての強みを見つける。 しかしその直後に阿部が脱退の意向をメンバーに伝え、8月の『サマステ ジャニーズキング』には9人で出演したが、10月の舞台『ABC座2016 株式会社 応援屋!!〜OH&YEAH!!〜』に阿部は出演せず、以降は8人で活動する。 2017年1月まで開催された『JOHNNYS' ALL STARS IsLAND』では8人で活動したが、その公演中に仲田から「夢を追いたい」と脱退の意向が兄組の4人に打ち明けられ、3月の『ジャニーズJr.祭り』には7人で出演した。そして5月の『ジャニーズ銀座2017』および8月に開催された『サマステ 〜君たちが〜KING'S TRASURE』には7人で出演したが、9月に上演された『JOHNNYS' YOU&ME IsLAND』で森田はTravis Japanとしては出演せず、6人で出演。10月のフジテレビ系バラエティ番組『ジャニーズJr.dex』開始を伝えるニュース、そして同月に制作発表が行われた舞台『JOHNNYS' Happy New Year IsLAND』公式HPには梶山の名前が無く、5人で出演した。 その後『お台場 踊り場 土日の遊び場』の11月18日14時公演にて、Sexy Zoneのバックや舞台『Endless SHOCK』で活躍していた松田元太、松倉海斗を含んだ7人で出演。実はこのライブは松田・松倉の2人がグループに入るかどうかの実質オーディションのようなものであり、他の5人と合わなければ加入は無いと言われていたことをのちに明かしている。以降7人体制で活動することとなり、『ジャニーズJr.dex』の12月放送分には7人で出演。
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