2012年、尖閣諸島関係で日中関係が悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:44 UTC 版)
「保釣行動委員会」の記事における「2012年、尖閣諸島関係で日中関係が悪化」の解説
2012年8月15日、保釣行動委員会の14名(中国本土1名、マカオ1名、鳳凰衛視記者2名を含む)は、漁船凱豐2号(中国語版)に乗って香港を出発し、尖閣諸島の主権を宣言した。魚釣島への接近中、漁船は日本側に妨害され続け、その間、日本の海上保安庁は水砲を発射し、漁船の船首、船体、航海計器を損傷した。最終的に7人のメンバーは魚釣島への上陸に成功し、五星紅旗と青天白日満地紅旗を振り、中国の国歌を歌い、旗を立てようとしたが、日本の海上保安官や島の警察官に止められた。日本側は、釣魚島のメンバー14人全員を拘束し、沖縄県の石垣島と那覇市に護送した。今回の事件は、2004年に中国本土の守備隊が、1996年に香港の守備隊が魚釣島に乗り込んだ事件に続き、中国人が魚釣島に乗り込んだ2度目の事件であった。この事件は日中の外交問題にも発展したが、最終的には人も船も全員無事に帰還した。 詳細は「香港活動家尖閣諸島上陸事件」を参照
※この「2012年、尖閣諸島関係で日中関係が悪化」の解説は、「保釣行動委員会」の解説の一部です。
「2012年、尖閣諸島関係で日中関係が悪化」を含む「保釣行動委員会」の記事については、「保釣行動委員会」の概要を参照ください。
- 2012年、尖閣諸島関係で日中関係が悪化のページへのリンク