2インチ中迫撃砲
(2-inch medium mortar から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/26 15:47 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search2インチ中迫撃砲 | |
---|---|
![]()
British troops loading a 2 inch trench mortar
|
|
種類 | 中迫撃砲 |
原開発国 | ![]() |
運用史 | |
配備期間 | 1915 - 1917 |
配備先 | イギリス |
関連戦争・紛争 | 第一次世界大戦 |
開発史 | |
製造業者 | ヴィッカース |
諸元 | |
重量 | 105 lbs (47.6 kg) |
銃身長 | 砲身:36インチ(914mm) 全体:40.85インチ(1,037mm) |
要員数 | 5 per mortar 25 per battery of 4[1] |
|
|
砲弾 | 榴弾 51 lb(23.13kg) 発煙弾 |
口径 | 2 inch (50.8 mm) mortar barrel, not bomb |
有効射程 | 最小:100ヤード(91.4 m) 最大:570ヤード(521.2 m) depending on charge |
弾頭 | アマトール, アンモナル |
炸薬量 | 12.5 lb (5.6 kg)[2] |
2インチヴィッカース中迫撃砲(英語: 2 inch Vickers Medium Trench Mortar)とは、第一次世界大戦でイギリス軍が使用していた中迫撃砲である。
スピガット・モーター式、すなわち砲弾が砲身よりも大きいタイプの迫撃砲であり、タフィー・アップル(Toffee Apple)[3]、またはプラム・プディング(Plum Pudding)[4]というあだ名を付けられていた。
1915年後半から1917年前半まで使用されていたが、あまり性能が良くなかったため、ニュートン6インチ迫撃砲に置き換えられた。
転用
1918年の春には迫撃砲として使用されなくなった後、余った砲弾は対戦車地雷に転用された。その多くは地雷用の信管を付けて西部戦線に埋められた。
地雷を設置した場所の資料が不十分だったため、戦後も地雷が残ることになり、フランスでは1930年代まで地雷による犠牲者が出ていた。
画像
リファレンス
「2 inch Medium Mortar」の例文・使い方・用例・文例
- こんな暖かい陽気は2月にしては異常だ
- 投票の結果は賛成5, 反対4, 棄権2であった
- 被告人は容疑のうち2つについては無罪となった
- その畑は約2エーカーの面積がある
- 紀元前30年から紀元20年までは50年間です
- 隣り合っている2つの部屋
- 議会は2週間休会になった
- 講演の入場料は2ドルです
- この切符は1枚で2人入れます
- このホールは1,200人収容できる
- 私は週2回エアロビクスをやっています
- 7月20日の午後にニューヨークへ立ちます
- パーティーでは行儀よくふるまいなさい.それから12時までには帰りなさいよ
- 彼女は洋服に多くの金を費やすが宝石にはその2倍近くを費やす
- 彼を支持する票は600票,反対票は12票だった
- われわれは相手の100議席に対して250議席を獲得した
- 彼は23歳で処女作を出版した
- 2週間前に起こったことについて話したい
- ひどい交通事故に遭ったのは20年前の今日だった
- 2つのグループは改革について意見が一致していない
- 2-inch medium mortarのページへのリンク