1960年代の論争とは? わかりやすく解説

1960年代の論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 19:40 UTC 版)

純文学論争」の記事における「1960年代の論争」の解説

1961年9月の『朝日新聞』に、平野謙が、雑誌群像創刊15周年寄せて小文掲載し中間小説優れたもの(松本清張水上勉らの社会派推理小説など)が台頭し純文学という概念歴史的なものに過ぎない、と述べたことから始まったとされているもので、まず伊藤整がこれに反応し高見順激しく平野批判した。しかし福田恆存によれば、これはその1月に大岡昇平井上靖の『蒼き狼』を批判した時から始まっていたもので、大岡はついで、松本清張水上勉らの中間小説批評家褒めすぎることに矛先向けており、当時外遊中だった伊藤が詳しい事情知らず平野文章衝撃受けたものとされている。しかしこの当時純文学といえばまず私小説だと思われており、高見の論も私小説擁護の趣があって、大岡の『花影』が、私小説ありながら肝心なことを書いていないと批判していた。 何をもって純文学とするかについては、論争間歇的起きその後1970年代江藤淳辻邦生加賀乙彦らを批判した「フォニィ論争」や、村上龍を「サブカルチャー」と批判したのも、純文学をめぐる論争だったという位置づけも可能である。

※この「1960年代の論争」の解説は、「純文学論争」の解説の一部です。
「1960年代の論争」を含む「純文学論争」の記事については、「純文学論争」の概要を参照ください。

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