1957-1978 存続危機と昇降格
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テルセーラ降格はクラブにとって大きな奈落への転落であった。1959年には昇格プレーオフに進出するも、アミスタ・デ・サラゴサに負けて敗退。その一方では財政難が限界近くまで進行しており、1961-62シーズンにはアルベルト・パストル会長がクラブの保有資産を抵当に出さなくてはならなくなった。ファンのみならず街の大多数の住民がこのSOSを感じ取り、「チャタラ作戦」と呼ばれた活動で多くの家具・調度品・骨董品が集められた。これらを売却して得られた緊急資金は、地元のクラブが再度の消滅を免れるのに役立った。 危機を乗り切ったクラブは再び昇格に向けての戦いを始めた。だが何度挑んでもセグンダ昇格に手が届かないシーズンが続く。ようやく1965-66シーズンにグループ1位でプレーオフに進出、昇格プレーオフでヘレス・インドゥストリアルを破りセグンダ復帰を決めた。だが残念なことに翌シーズンは1年で3回監督交代をするほどの不振を極め、ログロニェスは1年でテルセーラに降格してしまった。今回もセグンダへ戻るのにさらに3年間を要した。1969-70シーズンはレギュラーシーズン総計120得点で優勝という爆発的攻撃力でプレーオフへ進出。エルクレスCFとのプレーオフは、中立地エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでの第3戦までもつれこむ死闘となったが、これを3-1で制し昇格を決めた。 セグンダ復帰後の3シーズンは安定して好成績を挙げ、勢いを駆ってプリメーラ昇格を争うかとも思われたが、1972-73シーズンにはまたしてもテルセーラ降格という失態を犯す。負債は2200万ペセタという信じがたい額まで膨れ上がり、再びクラブ消滅の危機が噂されるがラサロ・カラサ会長が何とかこれを完済。チームも1977-78年には新設の3部相当リーグ、セグンダBに昇格した。
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