1956年 狂騒とビジネス
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「ビル・ヘイリー」の記事における「1956年 狂騒とビジネス」の解説
Mar.24 [The Saints Rock 'N Roll/R-O-C-K]( Decca 9-29870 ) June 2 [Hot Dog Buddy Buddy/Rockin' Through The Rye ](Decca 9-29948) July 28 [Rip It Up/Teenager's Mother (Are You Right?)] (Decca 9-30028) Oct.13 [Blue Comet Blue/Rudy's Rock] (Decca 9-30085) Dec.1 [Choo Choo Ch'boogie/Don't Knock The Rock](Decca 9-30148) 1月「シー・ユー・レイター・アリゲーター」最高7位100万枚を超えるヒット。同月エルヴィス・プレスリーがRCAビクターからメジャーデビュー。ロックンロール・ブームが加熱し社会現象に発展。 「ロックンロール害悪論」が起こる。一部の識者はこの新種の音楽を「暴力行為のサウンドトラック」、あるいは「白人と黒人の分離を崩壊させるための扇動」と非難した。この一連のバッシングに対しビルは穏やかに反論している。「ロックンロールは、人種差別に対処するために役立ちます。私たちは黒人音楽も演奏します。白人と黒人が同じステージを共有しパフォーマーが演奏している間、子供たちが並んで座って音楽を楽しんでいるのを見ました。子供たちが音楽を聴いているとき、トラブルにはつながりません」。論争はロックンロール最初のメッセージソング「ティーン・ネイジャーズ・マザー」を生み出した。この年計9曲をヒット・チャートに送り込む。 デッカの標準的契約では1枚のレコードの販売価格(89セント)から3%(2.7セント)がミュージシャンの取り分となる。この年、ビルはジャック・ハワードと共同経営の形で音楽社出版社を設立する。「Valleybrook」(ASCAP)と「Seabreeze」(BMI)、この二つの出版社が提供する楽曲をビルがヒットさせれば収入は倍増、と言う訳だ。しかし自家製出版社が最高の曲を作り続けるのなら話は別だが、実際には10万枚しか売れないビルの曲より100万枚売れる他人の曲の方がはるかに有益だった。「彼らは自分たちが版権を所有している曲しか録音したがらなくなった。」とミルト・ゲイブラーも当時を嘆いている。
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