15cm K(E)列車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 13:52 UTC 版)
| 15cm K(E)列車砲 | |
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| 種類 | 列車砲 |
| 原開発国 | |
| 運用史 | |
| 配備先 | |
| 関連戦争・紛争 | 第二次世界大戦 |
| 開発史 | |
| 開発者 | クルップ[1] |
| 開発期間 | 1936年 - [2] |
| 製造業者 | クルップ[1] |
| 製造期間 | 1937年 - 1938年[1][3] |
| 諸元 | |
| 重量 | 74,000 kg(据付時)[1] |
| 銃身長 | 5.96 m(40口径)[1] |
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| 口径 | 149.1 mm(5、7、8番砲)[1] 149.3 mm(23番砲)[1] |
| 仰角 | 0 - 45°[1] |
| 旋回角 | 360°[1] |
| 発射速度 | 3発/分[1] |
| 初速 | 805m/秒[1] |
| 最大射程 | 22,500 m[1] |
15cm K(E)列車砲(ドイツ語: 15cm Kanone in Eisenbahnlafette)は、第二次世界大戦時にドイツで運用されていた列車砲。
開発・製造
ドイツは第一次世界大戦で敗戦し、ヴェルサイユ条約により軍備を厳しく制限されていたが、それでも細々と列車砲の理論研究を続けていた[2]。やがて、1934年に再軍備宣言が行われると、ドイツ陸軍では各種の列車砲開発が本格的に開始された[2][3]。開発計画は、基礎研究から長い時間をかけて行う長期計画と、再軍備にあわせて迅速に開発する緊急計画に分かれており、本砲はこのうち1936年に始まった緊急計画(ゾフォルト・プログラム。短期計画とも)によって開発されたものである[2][3]。
開発と製造はクルップ社が担当した[2][3]。1937年から1938年にかけて生産されたが、列車砲としては小口径だったため少数の生産に終わった[1]。生産数には諸説あり、資料により4門[4]、10門[2]、18門[1][3]などばらつきがある。
設計
砲自体は、海軍用の15cm SK C/30艦載砲が使用されているが、これは第一次世界大戦時代の旧式砲であり、クルップ社で保管されていた予備砲身を流用したものであった[2][3][4]。砲架は360度の旋回が可能であり、射撃時は両側に2基ずつ装備されたアウトリガーを接地することで横方向の安定を得る設計であった[3][4]。何門かの砲には、装甲防盾が装備されている[4]。
弾薬には15cm K18カノン砲と同じGr18が用いられ、発射速度は毎分3発、最大射程は22.5キロメートルであった[1]。
運用
本砲は、ドイツ陸軍の第655列車砲中隊に配備された[3][4][注釈 1]。その後、ドイツ海軍が列車砲中隊「グナイゼナウ」を編成した際に4門が移管されたが、これは後に元の部隊に戻されている[3][4]。
第二次世界大戦開戦前は、設計の似た17cm K(E)列車砲とともにドイツ各地を巡ってプロパガンダに使用された[4]。開戦後は大西洋沿岸の比較的重要度の薄い地域での沿岸防衛任務などに従事し、一部は1945年時点でも配備状態にあった[4]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 後藤仁、川久保勝、田中義夫『ドイツ兵器名鑑 陸上編』株式会社 光栄、2003年4月30日。ISBN 4-7758-0063-9。
- 『週刊ワールド・ウェポン 世界の兵器 完全データ・ファイル』第13巻、デアゴスティーニ、2003年。
- 広田厚司『ドイツの火砲』光人社、2002年12月16日。 ISBN 4-7698-2365-7。
- 広田厚司『ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集』光人社、2007年12月10日。 ISBN 978-4-7698-1372-9。
関連項目
- 15cm K(E)列車砲のページへのリンク