15歳でのメジャーデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:21 UTC 版)
「ジョー・ナックスホール」の記事における「15歳でのメジャーデビュー」の解説
「 私は、中学1年生から3年生、たかだか13,4歳の子供を相手に投げていたんです...。それが突然、目の前にはスタン・ミュージアルや彼のような選手たちがいる。それはとても恐ろしいシチュエーションでした。 」 1944年6月10日、シンシナティ・レッズはクロスリー・フィールドで首位セントルイス・カージナルスと対戦した。カージナルスに13-0と大量のリードを許したレッズは9回、ビル・マケシュニー監督がナックスホールをマウンドに送った。 先頭打者の遊撃手ジョージ・ファロンを内野ゴロに打ち取ったものの、その後なかなかアウトが取れない。5つの四球と2本のヒット、そしてワイルドピッチによって5点を失い、イニング途中で降板となった。ナックスホールはシーズンの残りの期間をマイナーリーグで過ごすこととなった。ナックスホールの次に登板し最後のアウトを取ったジェイク・アイゼンハートも、ナックスホールと同じくこの日がデビュー戦で、さらに同じようにマイナーに降格している。しかし、アイゼンハートは再びメジャーに昇格することができなかったものの、ナックスホールは後述のようにメジャーに復帰することとなる。 この時のナックスホールの年齢(15歳10ヶ月11日)は、MLBの最年少出場記録として今なお残っている。一時期、1901年以前では1887年にフレッド・チャップマンが14歳の時に投手として出場し、5イニングを投げた記録が残っているとされてきたが、2009年にアメリカ野球学会は該当する人物の名前は間違いで正しくはフランク・チャップマン(英語版)という名の人物で、年齢も25歳であったと訂正する研究結果を発表した。1901年以前を含めても彼が最年少出場者であることが判明した。
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