テンフィート‐うんどう【テンフィート運動】
10フィート運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 20:03 UTC 版)
10フィート運動(テンフィートうんどう)は、日本で1980年(昭和55年)から開始された草の根運動の一つ。第二次世界大戦(太平洋戦争)での広島市・長崎市への原子爆弾投下直後に、アメリカの米国戦略爆撃調査団が両市で原爆記録フィルムを撮影したことから、このフィルムを日本が買い戻して記録映画を製作し、反核と反戦の世論作りに役立てるための運動である。フィルムは全部で8万5千フィートあり、アメリカ国立公文書記録管理局などに保管されているこのフィルムを、市民1人1人からの3000円ずつの募金により10フィートずつ買い取ることが名称の由来である[1][2]。「10フィート映画運動」ともいう[1]。
- ^ a b c 広岩近広『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言』岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2013年4月19日、66-79頁。ISBN 978-4-00-500740-0。
- ^ 三枝義浩『語り継がれる戦争の記憶』1、講談社〈KCデラックス〉、1995年11月、124-125頁。ISBN 978-4-06-319638-2。
- ^ “核・平和をめぐる動き”. NHK 平和アーカイブス. 日本放送協会. 2016年10月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年10月22日閲覧。
- ^ 三枝 1995, pp. 76-89.
- ^ 「映画で高める反核の機運 下関の市民団体 10フィート作品上映へ」『ヒロシマ平和メディアセンター』中国新聞社、2013年8月30日。2016年10月22日閲覧。
- ^ a b “10フィート映画(ビデオ)”. 平和博物館. 2016年10月22日閲覧。
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- 2 10フィート運動の概要
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