1人目の皇帝・ガルバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 00:21 UTC 版)
「ローマ内戦 (68年-70年)」の記事における「1人目の皇帝・ガルバ」の解説
ガルバはタッラコネンシス属州総督としても名声があったが、即位当時すでに65歳であり、その政権は活気を欠く面があった。いずれにせよ元老院からの要請を受けて、ローマへと出発する。彼を支持する軍隊は第6軍団ウィクトリクス、第1軍団マクリアナ・リベラトリクス、第1軍団アディウトリクス、第3軍団アウグスタ、第7軍団ゲミナであった。 ガルバはローマまでの帰還中に自分を支持しなかった地域に重い罰金を課すなどして地域民の支持を失い、ローマに帰還してからもネロが行った改革を無効としてローマ社会での重要人物の支持を失うなど、失策を重ねた。またガルバは陰謀を極度に恐れ、多数の元老院議員やエクィテス(騎士階級)を裁判無しで処刑した。 69年1月1日、ウィンデクスの反乱を鎮圧したにもかかわらず満足な見返りを得られなかった高地ゲルマニア属州の2軍団は、一致してルフスを皇帝位に推挙した。しかしルフスはこれを拒否し、代わりにゲルマニア・インフェリオル総督アウルス・ウィテッリウスを皇帝にするよう推薦する。翌日低地ゲルマニアの軍団もこれに同調し、ゲルマニアで反乱が勃発。 ガルバはこれに対応するため、人格者として知られたピソ(Lucius Calpurnius Piso Licinianus)を養子にし自分の後継者だと発表したが情勢は変わらず、逆に一貫して彼の協力者であったはずのオトーの支持を失ってしまう。オトーは自らがガルバの後継者になれないことを知って落胆し、ガルバがピソを後継者に指名した5日後に2人を殺して皇帝に即位した。
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