黄葉山とは? わかりやすく解説

黄葉山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 14:30 UTC 版)

神辺城」の記事における「黄葉山」の解説

黄葉山の城は1443年嘉吉3年)に山名氏によって築かれとされるが、当初規模様子はよくわかっていない。その後、「但馬村岡山名家譜」によると、山名煕之嫡男山名氏明が神辺城であった伝わり天文7年1538年)までに山名理興城主となっていることがわかっているが、氏明以外には理興以前城主は明らかではない。天文12年1544年)頃に神辺城大内氏攻められ神辺合戦)、理興は約7年持ちこたえるが、天文18年1549年)に落城する。山名理興逃亡し大内氏神辺城直轄城とし青景越後守城番に置くが、大内氏滅亡し勢力基盤毛利元就継承する毛利氏臣従した山名理興神辺城復帰認めた弘治3年1557年)に理興が死去すると、家老杉原盛重神辺城主となる。これに異を唱えた理興の旧臣藤井皓玄謀反をおこし神辺城占拠するが、すぐに鎮圧され皓玄は備中国逃亡し自刃した。永禄7年1564年)に盛重が西伯耆尾高城に移ると、神辺城は盛重の二男杉原景盛引き継ぐが、天正12年1584年)に兄の元盛を謀殺したことで毛利氏討ち取られたことから、神辺城毛利氏直轄城とされた。天正19年からは毛利元就八男毛利元康城主となる。 毛利元康慶長3年1598年)に神辺城から南に位置する海辺新たな城(王子山城)を築いて移り住んだ。しかし、慶長5年関ヶ原の戦いの戦後処理により元康所領没収されると、替わり福島正則が入封して、神辺城には筆頭家老であった福島丹波正澄が3万石置かれた。福島氏元和5年1619年)に改易され、水野勝成が入封する。水野氏西国外様大名監視するために配置され譜代大名であったため、その役割を担う城としては神辺城規模小さく不便であるとして、芦田川河口の常興寺山新たな城(福山城)を築いて神辺城廃城とされた。

※この「黄葉山」の解説は、「神辺城」の解説の一部です。
「黄葉山」を含む「神辺城」の記事については、「神辺城」の概要を参照ください。

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