麻里魯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:30 UTC 版)
詳細は「Kingdom of Maynila(英語版)」を参照 都市国家のひとつにマニラ王国(麻里魯)(英語版)(マレー語: Kota Seludong、ジャウィ文字: كوتا سلودوڠ)があった。明の時代には歴史的交流のあった同じ海洋国家のマライ人系商人らを通じ、一部のルソンの人々はイスラム教を取り入れていた。 15世紀頃の地図混一疆理歴代国都之図にはフィリピンの辺りに多くの島が描かれており、中に麻里魯と読める箇所がある:9。 1500年代初頭、ポルトガル人は、マラッカ王国を征服する前に立ち寄った中国とマラッカの間にある貿易国家を「ルソニア」(Luçonia)または「ルソン」(Luçon)と記している。 日本の商人もルソンと交易した記録が残っていて、戦国時代に堺商人の納屋助左衛門が貿易商を営んで巨万の富を得た逸話は最も良く知られている。 また、使用開始時期は不明確だが、1603年のスペインの報告書によると、当時のフィリピンの一部ではバイバインと呼ばれる文字が存在していた:59。
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