高高度偵察機の撃墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:54 UTC 版)
「S-75 (ミサイル)」の記事における「高高度偵察機の撃墜」の解説
S-75が初めて戦果を挙げたのは、1959年10月7日のことである。中国の首都である北京付近で偵察飛行中だった中華民国空軍(台湾空軍)のRB-57Dキャンベラ(イングリッシュ・エレクトリック キャンベラの米ライセンス生産版)偵察機を中国人民解放軍のS-75が撃墜した。台湾空軍の偵察機は中国領空内でS-75の脅威にさらされ、RB-57Dや黒猫中隊のU-2偵察機が4機撃墜されている。 西側諸国にS-75の威力を強く印象づけたのは、1960年5月1日に起こったU-2撃墜事件である。超高高度からソ連上空を領空侵犯するアメリカ空軍のU-2偵察機に対し、ソ連防空軍は戦闘機で迎撃を試みたが、成果は上がらなかった。この状況を変えたのがS-75である。1960年5月1日、フランシス・ゲーリー・パワーズの操縦するU-2は、ソ連側の警戒レーダーによって捕捉された。次に要撃機が発進し、最終的に14発のS-75発射によってU-2は撃墜され、パワーズはスパイ行為で拘束された。 1962年のキューバ危機では、キューバに設置された核ミサイル基地を偵察する米空軍のU-2の迎撃にS-75が用いられた。10月27日の「暗黒の木曜日」には、ルドルフ・アンダーソンが操縦するU-2をS-75が撃墜し、アンダーソンは戦死した。
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