高階瓏仙とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 高階瓏仙の意味・解説 

高階瓏仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 05:27 UTC 版)

高階 瓏仙(たかしな ろうせん、1876年12月15日 - 1968年1月19日)は、日本の仏教学者僧侶。曹洞宗大学(現駒澤大学)教授。總持寺独住第12世貫首、永平寺第71世貫首、曹洞宗第18代管長[1]全日本仏教会長を歴任。道号は玉堂。

来歴

福岡県嘉穂郡臼井村生まれ。1890年永泉寺の高階黙仙住職について得度1901年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。同年より曹洞宗の内地留学生として京都仏教研究。1903年福岡県の永泉寺住職。1904年可睡斎の日置黙仙に4年に渡り随待参禅し、1905年静岡県の崇信寺住職となる。1909年曹洞宗大学教授に就任。1910年曹洞宗特選議員となり、以後宗議会議長、宗務院総務を歴任。1915年大学教授を辞し、福岡県の安国寺住職となる。1928年朝鮮布教総監、1931年可睡斎住職、1941年總持寺貫首、永平寺貫首、1944年曹洞宗管長に就任。1950年セイロンの第1回世界仏教徒会議に日本代表として出席。1957年全日本仏教会長に就任した。著書に「般若心経講義」「禅の要諦」「舌頭禅眛」などがある。

1968年1月19日遷化、91歳[2]

出典

  1. ^ kotobank. “高階瓏仙(日本人名大辞典)”. 2020年3月8日閲覧。
  2. ^ kotobank. “高階瓏仙(20世紀日本人名事典)”. 2020年3月8日閲覧。

 

外部リンク

先代
曹洞宗管長
18代:1944年-
次代
先代
大森禅戒
永平寺貫首
71世:1941年-
次代
佐川玄彝
先代
大森禅戒
總持寺貫首
12世:1941年-
次代
福山界珠


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高階瓏仙」の関連用語

高階瓏仙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高階瓏仙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高階瓏仙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS