高山線列車脱線転落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「高山線列車脱線転落事故」の解説
1945年(昭和20年)1月10日 高山線飛騨金山駅 - 焼石駅間(当時、福来信号場は未設置)にある益田川第三鉄橋に午前9時半頃差し掛かった下り303列車(C58牽引 6両編成)が突如、2、3両目が脱線し益田川へ転落した。2両目は回転しながら転落、石礫に激突、車輪を上に仰向けとなり大破し、3両目は前部は河原に転落し激突したが後部は国道41号線の法面にななめにもたれかかるようにして大破した。4両目は脱線したものの転落を免れ鉄橋上で停止、5、6両目は早くに連結器が外れたのか、鉄橋手前で停止した。(牽引機関車、1両目については明記なし)死者45名、負傷者57名(情報によっては前後する) 乗客には、当時の中原村村長、農業会組合長兼助役、農業会副組合長、農業会専務理事など公務に関わる人物が多く、それぞれの会席に出席するための出張中であったという。転落した車両には18名公務関係が乗っていたがそのうち11人が犠牲となった。 事故原因は当時の名古屋鉄道管理局によって調査され、『落石』と発表されたが後日訂正し、『調査中』とされ不明になった。乗客の証言によれば、落石に乗り上げ脱線し、事故後線路の上にバレーボール程度の大きさの石が2つに割れていたというが、その石は国鉄関係者が持ち去ってしまったという。
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