高句麗・百済・新羅(313〜936年)
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「日本統治時代の朝鮮」の記事における「高句麗・百済・新羅(313〜936年)」の解説
「東史補遺」「三国遺事」に断片的な人口の記録が残っている。高句麗・百済の滅亡時に数字が不自然に跳ね上がっており、これらは三国合わせての数字と捉え全土の人口は380万と推計する説がある。 前述の口数一戸8.2人を用いると、『三国遺事』1巻 紀異第一 七十二国「七十八国各万戸」を用いて、78万戸x8.2=640万人とする説もある。なお、前述の年0.058の人口増加率により1906年の人口から逆算する三国時代の朝鮮半島の全人口は、675万人。 三国時代の人口記録時代紀元東史補遺三国遺事推計人口高句麗 6代王太祖 ~121年 3万戸 150000 19代広開土 392~412年 21万508戸 1052530 滅亡時 668年 69万6000戸 3480000 百済 全盛期 500 15万2200戸 15万2300戸 761000 滅亡時 661 76万戸 3800000 新羅 慶州、全盛時 7~8世紀 17万8936戸 894680
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