馬券の禁止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
馬券黙許時代の競馬会の不正や観客の混迷は、程度の差こそあれ、どの競馬場でも噂され、馬券発売を伴う競馬にはマスコミの糾弾が行われている。不正が噂される全国15か所の競馬場のなかでも松戸競馬場は施設も運営も最低だともっともはげしいマスコミの糾弾を受けた。 総武競馬会明治41年秋季開催終了直後に馬券発売は禁止される。松戸競馬秋季終了直後のタイミングで馬券禁止されたことについては安田伊左衛門が言うには、実は馬券発売は新刑法発令日の松戸秋季直前の10月1日に禁止される予定だった。しかし、経営者たちのガラが悪いことで知られる松戸競馬開催の前日に馬券を禁止したら騒動になると政府は恐れて松戸競馬開催が終わるまで通達を待ったという。 35-40円の値がついていた総武牧場株式会社の株(額面12円50銭)は馬券禁止通達後には2円以下になる。馬も1万円で取引されていた馬が1000円になってしまったという。 馬券禁止で各地の競馬場には政府から補助金が出ることになったが、競馬会が満足する額に遠く及ばす全国の競馬関係者は一斉に馬券復活運動に立ち上がる。補助金による競馬ではなく馬券を売る競馬を求める競馬会は明治42年春季は開催しなかった。国会が開かれていた東京に全国から競馬関係者が集合し、政府に馬券復活の請願活動を行う。この運動は激しくついに1909年(明治42年)春の衆議院では議員立法で提出された馬券を認める法案が通過した。しかし、政府と貴族院の抵抗は強く貴族院の反対によって結局は馬券禁止は覆ることはなかった。この後の日本競馬は政府の補助金によって行われる補助金競馬時代に移行する(馬券発売が認められるのは1923年(大正12年)の競馬法成立を待たなければならなかった)。
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