総武牧場株式会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
1906年(明治39年)11月池上競馬場が大成功を収め、運営する東京競馬会が多大な利益を手にしたのをみて、全国で競馬場の計画が多数持ち上がる。 松戸では永岡啓三郎や河野広中らが発起人となって総武牧場株式会社が設立される。総武牧場株式会社は競馬場の所有会社で、のちに作られる総武競馬会は競馬を実施する法人であり、両者のメンバーは同一である。馬券黙許時代、横浜と池上以外の全国の競馬場では競馬を実施する競馬会と競馬場の所有会社を分けた。公益法人である競馬会は利益を自由に処分できないので、競馬場の所有会社に高額な使用料を払う形で自由に処分できる利益を手にしたのである。もちろん競馬場所有会社は競馬会のトンネル会社である。総武牧場株式会社の設立は1906年(明治39年)12月7日、総武競馬会は1907年(明治40年)7月12日である。総武牧場株式会社は永岡啓三郎ほかの所有する6町6反6畝余り(66000㎡)の土地を借入、設立まもない12月20日競馬場の建設工事を始め、翌年(明治40年)3月9日竣工する。総武競馬会(実情は総武牧場株式会社と一体)の経営者たちは安田伊左衛門には壮士の如き人と呼ばれている。この場合、壮士は決して良い意味では使われていない。
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