総武競馬会から松戸競馬倶楽部へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
「松戸競馬場」の記事における「総武競馬会から松戸競馬倶楽部へ」の解説
競馬が世論の指弾の的になり、政府は馬券を禁止するだけではなく、同一地方に複数の競馬団体や利益の抜け穴となるトンネル会社の存在を認めない方針をとった。 1909年(明治42年)春、政府は東京近郊の総武競馬会(松戸)、東京競馬会(池上)、日本競馬会(目黒)、京浜競馬倶楽部(川崎)、東京ジョッケー倶楽部(板橋)の5者を呼び合同を促す。しかし総武競馬会(松戸)のみはこれに従わなかった。松戸以外の4つの競馬会は合同して東京競馬倶楽部を作り政府はこれに20年間毎年8万円あまりの補助金を交付することに決めた。他の競馬会との合同を拒否した総武競馬会は馬政局の命令で明治43年社団法人松戸競馬倶楽部に組織変更し、競馬場の所有会社(利益のトンネル会社)である総武牧場株式会社から競馬場を買収した。明治43年以後は松戸競馬の所有者も開催者も松戸競馬倶楽部になる。松戸競馬倶楽部に対する政府の補助金は20年間毎年3,368円と決められた。(毎年3,368円と決められたが、実際には補助金競馬時代には入るとそれより多額の補助金が出されている。それでも東京競馬倶楽部の1/5以下の額である(後述)。)
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