馬公からシンガポールまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:43 UTC 版)
「ミ23船団」の記事における「馬公からシンガポールまで」の解説
馬公で船団から第二勇山丸ほか1隻の輸送船が分離され、高雄行きで分離済みの3隻および沈没船2隻を合わせて合計7隻が船団から離脱した。代わりに輸送船1隻が新たに加入し、船団は9隻編制となった。特設工作艦白沙もレイテ沖海戦から帰った損傷艦艇を救援するため船団から分離され、海防艦三宅、笠戸の護衛でパラワン島ウルガン湾に向け出航した。護衛部隊もヒ76A船団から移籍の第16号海防艦が加わったため、海防艦6隻の体制に変わった。船団の指揮は第8運航指揮官山本大佐が白沙から第14号海防艦に移乗して執った。 10月29日午前7時、ミ23船団は馬公を出港した。敵潜水艦を警戒して大陸沿岸に接して南下したため、大陸奥地から飛来するアメリカ第14空軍の航空機の作戦圏内に入ってしまい、30日午後8時15分(機種不明大型哨戒機)と31日午前10時15分(B-24爆撃機1機)の2回にわたる空襲を受けたが、護衛艦が応戦して無傷で切り抜けた。この間、10月31日に輸送船1隻」が機関故障のため落伍し、第34号海防艦が付き添っている。 11月4日、船団は経由地のサンジャックに到着したが、同月6日に第1海上護衛隊からそのままの編制でシンガポールに向かうよう指示され、本来の目的地のミリへは向かわないことになった。海防艦はサイゴン港で整備と燃料補給を受けた。輸送船1隻と第34号海防艦が離脱して輸送船8隻・護衛艦4隻に減った船団は、11月9日にサンジャックを出港し、水上偵察機による航空支援も受けつつ、何事も無く12日にシンガポールに到着して運航を打ち切った。
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