香港の正教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:03 UTC 版)
1930年代までに多数のロシア人正教徒が英領香港に逃れていたが、香港には正教会がなかった。これに対応するため1933年、北京のヴィクトール府主教によりドミートリー・ウスペンスキー神父が香港に臨時に派遣された。この時、香港聖公会のセント・アンドリュース教会を借り、香港で初めて聖体礼儀を行った。翌1934年に現地の要望を受けドミートリー神父は正式に香港に赴任し、聖ピョートル聖パーヴェル教会を開いた。 1945年に中国の正教会諸教区がモスクワ総主教庁の傘下に復帰すると、香港の聖ピョートル聖パーヴェル教会もそれに従った。1949年から1959年までは、上海から香港に逃れたイリヤ文子正司祭による在外ロシア正教会所属の教会が存在した。この教会は正規の地位を欠いていたため、洗礼や婚礼・葬儀などは聖ピョートル聖パーヴェル教会で執り行われた。イリヤ司祭は上海で長年仕えたイオアン・マキシーモヴィッチ府主教を追って1957年にサンフランシスコに渡った。 中国の正教会からロシア人神品が去り、「中国東正教会」が自治正教会として成立すると、香港の聖ピョートル聖パーヴェル教会はその管轄下に入ることを望まなかった。形式上モスクワ総主教府に所属することになるが、信徒たちはモスクワとの交渉も希望せず、教会の帰属は宙に浮くことになった。 その後もドミートリー神父は香港の正教徒の世話をし続けるが、1970年に神父が永眠すると聖ピョートル聖パーヴェル教会は閉鎖された。 1996年になると、コンスタンティノープル総主教庁が香港および東南アジア府主教区を設置し、香港・マカオのみならず中国大陸をも管轄することとした。香港にはコンスタンティノープル総主教庁からニキタス府主教が遣わされ、聖ルカ大聖堂を開いた。 21世紀に入ってからは、モスクワ総主教庁も香港で聖ピョートル聖パーヴェル教会の活動を再開させた。
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