香港の主権移譲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 15:08 UTC 版)
1990年4月4日、香港基本法が制定されると、香港人の不安は一応、沈静化した。しかし1992年にクリストファー・パッテンが香港総督として着任すると、主権移譲を前に香港の政治的な民主化を加速させたため、中華人民共和国との関係が緊張した。 ただ、このような政治的動揺や移民の大量流出にもかかわらず、経済的には中華人民共和国資本の流入によって主権移譲前の香港の不動産市場や株式市場は空前の活況を呈した。 1997年7月1日に、香港は正式にイギリスから中華人民共和国に主権移譲(香港島などのイギリスの領土は「譲渡」となる)され、最後の総督となったパッテンは香港を去った。 パッテン時代に直接選挙を実施した立法局は、北京が成立させた臨時立法会に取って代わられ、中華人民共和国政府と深い関係にある富豪の董建華が初代香港特別行政区行政長官となった。これまで香港に君臨してきたユニオンジャックとエリザベス2世の肖像は姿を消し、五星紅旗が香港に翻った。香港は事実上イギリス最後の植民地だったため、その返還はイギリスを初めとする欧米の報道では史上最大の帝国だった大英帝国の終焉であるとされた。
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