食料自給と農地改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「食料自給と農地改革」の解説
ボリビアは1950年代に入ってもなお、全国民が自活できない状況にあった。スペイン統治時代からのアシエンダ制の弊害がのこり、当時1000ha以上の土地を所有する大地主は人口の6%で所有地の合計面積はボリビア国内耕作地の92%を占めた。その大半は利用されないまま放置されていた。 地主たちは先住民を低賃金や時には無償で働かせ、農具や種子を自前のものを要求した。地主の多くは農園から離れて暮らす不在地主の形を取り、都市部で専門的な職業についた。農園は先住民の農民にまかせきりであったため、農業技術は未発達のまま取り残された。 1953年8月3日、農地改革法案が制定された。この法令によりアシエンダの土地をすべて没収し、25年債権の形で地主に補償を与えることになった。そして転売禁止を条件に先住民の労働者に土地を分配した。 これらの農業を取り巻く混乱によりボリビア国内の食料生産性は低く、増加していた都市人口の需要に対して、食料自給は困難になった。1950年から1952年には、全輸入量の19%を食料品が占めた。しかも輸入した食料品の大半はアンデス原産の根菜類であった。
※この「食料自給と農地改革」の解説は、「オキナワ移住地」の解説の一部です。
「食料自給と農地改革」を含む「オキナワ移住地」の記事については、「オキナワ移住地」の概要を参照ください。
- 食料自給と農地改革のページへのリンク