預言者のスンナに関する伝統的見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 05:33 UTC 版)
「スンナ」の記事における「預言者のスンナに関する伝統的見解」の解説
前節のような見解とは逆に、伝統的ムスリムは次のような章句をとり、スンナを正当なものとする。 「同じくまた我らは汝らのうちから一人を(選び)、使徒として汝らのもとに遣わし、汝らのために我らの神兆(ここでは『コーラン』のこと)を読誦してきかせ、汝らを浄化し、また汝らに聖典と聖智とを教え、汝らが今まで知らないで来たことをいろいろ教えさせようとした」(2:151) そして彼らにとって、これらのスンナの多くは、クルアーンに 「……純正な信仰の人イブラーヒーム(アブラハム)の跡に従う人間にまさるものがどこにあろうか。アッラー御自らイブラーヒームを伴侶となし給うたではないか」(4:125) と言及されることを根拠として、イブラーヒームをその起源として取る。 預言者の役割は唯一啓示を伝達することであったとすることに対しては、先述の章句のうち「汝らを浄化し、また汝らに聖典と聖智とを教え」から、啓典の伝達のみならず、聖典、聖智の説明となる教えを伝えることもまたムハンマドの役割であったとして、スンナについての考え方をクルアーンと結びつけるのである。さらに 「まことに、神の使徒(マホメット)だけは(今度の戦闘でも)、ひたむきにアッラーと最後の日を望み、絶えずアッラーを心に念ずる人間(つまり神の道のために、至誠をもって異教徒と戦う人)の見事な実例であった」(33:21) は、ムハンマドのおこないを神の嘉例として、ムスリムはそれに続くべきものと示唆しているとする。 伝統的ムスリムの立場は、上記の議論に引用されたクルアーンの章句に示されるとおり、ムハンマドの役割は啓典の伝達であって、決して崇拝され、神格化されているわけではないというものである。そしてここで言う啓典、すなわちクルアーンはそれそのもののみではなく、説明と導きを含めてのことであって、それはスンナのなかに示されているのである、という立場なのである。
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