電波少年的松本人志のアメリカ人を笑わしに行こう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:55 UTC 版)
「進ぬ!電波少年」の記事における「電波少年的松本人志のアメリカ人を笑わしに行こう」の解説
「アメリカのコメディーよりも日本のお笑いのほうが面白いのではないか?」という疑問から、アメリカに通用する日本のお笑いを作るためダウンタウンの松本人志が挑戦した。ただし、これまでの無名タレント・芸人(スケジュールがほぼ白紙で長時間の拘束が可能)が挑戦した企画とは異なり、松本は現状のスケジュールを優先させ拘束されることはなかった。企画はまず、アメリカでコメディアンとして活動する野沢直子に会いに行き現地のコメディーショーを視察、数か月後松本の過去のコント作品(字幕版)をアメリカ人に見せて反応を伺った。ほとんど満足のいく反応を得られず、改めてアメリカ人向けのコント作品「サスケ」を制作することが決定した。その後納得の行く作品に仕上がるまで推敲を重ね、ニューヨークでの上映会へと向かった。上映会に集められた観客は200人で、人種・年齢・性別は当時のアメリカ国内の比率に合わせられている。結果アメリカ人からそこそこのウケを得た。 企画は手探り状態で進められ、放送する内容が限られるためかなかなか企画が前進しなかった(松本にインタビューをしている際に土屋が音声スイッチを入れ忘れ、何を言ってたか想像する件で場を持たせたこともある)。「サスケ」の完成まで時間がかかり、半年以上放送されない時期もあった。また、松本のアメリカロケには土屋が直接同行した。
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