雲南の経済官僚として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 07:02 UTC 版)
1932年(民国21年)冬、雲南煉錫公司総経理となる。繆雲台の指導の下、雲南の錫の品質は大幅に向上され、国際競争力を備えるに至った。1934年(民国23年)春、富滇銀行を改組した富滇新銀行の行長に就任した。繆は、それまでのアヘン中心の省金融体系を錫中心の金融体系へと変革した。さらに富滇新銀行が発行する紙幣の価値を強化することに成功している。同年12月に雲南全省経済委員会が設置されると、繆は常務委員会主任委員に任命され、省内産業の勃興・育成に貢献した。 以上のように、繆雲台は、金融・産業・経済の様々な分野で辣腕を振るい、竜雲による雲南統治の安定化を支援した。さらに、日中戦争の際に雲南省は、国民政府の抗戦を物資面で支えることになったが、これも繆の貢献によるところが大きい。 なお、繆雲台は、国民政府中央でも資源委員会委員、行政院政務委員などの一定の役職をつとめた。しかし、雲南省での活躍の方がより顕著である。政治的立場は無党派で、中国国民党・中国共産党の双方から距離を保っている。また、アメリカからも重要人物と目され、外交交渉の場にも立った。
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