雅叙園観光ホテル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:20 UTC 版)
隣接していた雅叙園観光ホテルは元来目黒雅叙園の新館(洋館)であったが、1948年(昭和23年)興行師の松尾國三が経営に乗り出して雅叙園観光(現:東北雅叙園)株式会社が設立され、分離。合資会社雅叙園は地主として同ホテルとの関係を持っていたが、事実上目黒雅叙園と雅叙園観光ホテルは全く別物となった。 松尾が雅叙園観光を設立して観光ホテルの経営に乗り出した背景には、二代目細川力蔵と初代未亡人との間で起こった細川家の相続争奪戦があった。二代目が松尾を頼り、松尾は二代目に加担。この際洋館の建物を譲り受けて、中華料理店であった同館を観光ホテルに大改装した。松尾の進出は二代目に対する後方支援でもあった。 雅叙園観光はかつて、静岡県三島市に三島雅叙園ホテルを、横浜市戸塚区にホテルエンパイアを、神戸市葺合区(現在の中央区)にニューポートホテルをそれぞれ運営していた。三島雅叙園の建物は取り壊されマンションが建てられている。 東証一部上場企業であり、松尾が経営していた日本ドリーム観光の姉妹会社であった。松尾没後に経営権争奪(コスモポリタン事件)が起こり、雅叙園観光と日本ドリーム観光は分離。雅叙園観光は結局その過程においてイトマン事件に巻き込まれ、1997年(平成9年)に倒産。経営していたホテルもすべて閉鎖され現存しない。 このイトマン事件に雅叙園観光が巻き込まれ大々的な報道の対象となったことは、目黒雅叙園にも少なからぬ風評被害を及ぼした。そのためか、雅叙園観光倒産時には、目黒雅叙園側が「当『目黒雅叙園』とは一切関係がありません」と異例の新聞広告を行っている。 雅叙園観光ホテル跡地は目黒雅叙園の手に戻り、2012年春に完成したアルコタワー・アネックスのエントランス棟として整備された。
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