雅号・広助の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 14:00 UTC 版)
広助という雅号については、本人曰く母方の姓に由来するという。母・モトの実家は立花藩漢学者の家柄で、助広と名乗っていた。その助広をひっくり返して広助にしたのが、雅号の由来とされている。また、中学時代にすでに「田崎草雲」という雅号を名乗り、得意げになっていたが、ほどなくして、父や親族らの話から、すでに幕末から明治初年にかけて南画の達筆な同姓同名の人物(田崎草雲)が存在していたことが判明し、意気消沈したという。しかし反面、草雲が没した年と広助の出生が同じだったことから、親族間では「草雲の生まれ変わりに違いない」などと囁かれたと伝えられている。その後、作家である長男の調査により、草雲と広助は人相や骨柄が酷似していたとされている。
※この「雅号・広助の由来」の解説は、「田崎広助」の解説の一部です。
「雅号・広助の由来」を含む「田崎広助」の記事については、「田崎広助」の概要を参照ください。
- 雅号・広助の由来のページへのリンク