隧道地区跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/13 14:14 UTC 版)
アメリカ軍の爆撃に耐え、本土決戦に備えるため、多くの地下軍事施設が建設されたエリアである。司令部、倉庫、兵舎、格納庫、トンネル、地下工場など、多くの地下軍事施設が建設された。その大半は、戦後、削られて消滅したものの、今でも多くの防空壕が残っており、当時の様子をうかがい知ることができる。 見張台跡 滑走路の北東にある丘の上には、見張台が建てられていた。 地下作戦室・無線室 戦闘指揮所の地下には、作戦室と無線室があった。コンクリート製もので、現在、地上からの出入口はふさがれ、斜面側の出入口が残っている。 地下魚雷調整場 由留木の賀茂神社にある駐車場横に地下魚雷調整場跡が残る。ここは本部としても利用され、終戦時には、ここで終戦の告知も行われている。向かい側にある林の中では、特攻用ボート「震洋」の製造も行われていた。 地下工場 基地の東側には、いくつもの地下工場があった。それらの工場のうち、機械工場、発動機工場、自動車工場が残っている。 地下格納庫 敵の空襲から飛行機を守るため、地下に格納庫がつくられた。現在でも緑ケ丘と荒田の格納庫が残っている。 地下倉庫 基地には、物資を保管するため、谷や崖に沿って、地下に多数の弾薬庫、会計倉庫、施設部倉庫などの倉庫がつくられた。黒丸地区にはその1つが残っている。 地下兵舎 地下魚雷調整場からその南にある球磨川のあたりにかけての崖沿いに多くの地下兵舎跡が残っている。 地下弾薬庫 最後に残った弾薬庫も造成のため、まもなく消滅する見込みである。 トンネル 陣地や通路として多くのトンネルが掘られ、今でも約6本のトンネルが残っている(うち1本は片側が埋もれている)。
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