隠岐流二階堂氏とは? わかりやすく解説

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隠岐流二階堂氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:56 UTC 版)

二階堂氏」の記事における「隠岐流二階堂氏」の解説

鎌倉時代二階堂行政の子・行流れ鎌倉時代中期から建武政権室町幕府にかけて執事評定衆検非違使高家として活躍した細かく分けると、行の子である元行を祖とする「隠岐家」、同じくの子である行義を祖とする「出羽家」、同じくの子である行久を祖とする「常陸家」、同じくの子である行方を祖とする「和泉家」、行義の子である行有から分かれた備中家」(広義の「出羽家」に含まれる)に分けられる嫡流であった隠岐家は霜月騒動影響衰退し本拠地薩摩国移して薩摩二階堂氏発展する薩摩二階堂氏傍流伊勢国矢部郷移り室町幕府奉公衆となっている。 これに対して鎌倉時代末期備中当主である二階堂貞藤政所執事としての活躍の他、吉野攻撃総大将など武将として活躍した幕府滅亡後赦免され建武政権登用されたが、間もなく謀反疑いで貞含めた備中家のほとんどが処刑され没落した。貞の兄の時系統足利尊氏に従って成藤と行種が鎌倉府政所執事となった長禄4年1460年4月28日将軍足利義政御内書下した須賀川二階堂氏寿はこの系譜推定される出羽家と常陸家も貞藤一族の粛清巻き込まれ和泉家観応の擾乱足利直義最後まで従って没落している。

※この「隠岐流二階堂氏」の解説は、「二階堂氏」の解説の一部です。
「隠岐流二階堂氏」を含む「二階堂氏」の記事については、「二階堂氏」の概要を参照ください。

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