阿須賀遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 09:55 UTC 版)
熊野川河口付近で発掘された遺跡群で、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡。新宮市の文化財指定名は「阿須賀神社境内弥生式竪穴住居跡」(1978年〈昭和53年〉9月25日指定)。1954年(昭和29年)2月に地方史研究所が熊野地方で行った総合調査の一環として実施された発掘を第1次とし、1976年末、1978年(昭和53年)2月・10月、1981年(昭和56年)3月と5次にわたる発掘調査が行われている。多くは表土下1-1.5メートルの浅い地中に埋蔵されており、今後も遺物・遺跡が発見される可能性がある。 住居跡が円形3、隅丸方形1、方形6の合計10基、掘立柱建物跡4基が確認されているほか、弥生式土器・土師器が多く、その他に臼玉・管玉などの石製品が見られる。沼沢地化した熊野川河口において、蓬莱山麓一帯のわずかな微高地に成立した農耕漁労集落と見られ、神社境内だけでなく周辺一帯の相当に広い範囲から出土品が見られることから、大規模な集落が存在していたことが推定される。市指定文化財(史跡)として、1978年(昭和53年)9月25日指定。
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