阿佐ケ谷文士村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:05 UTC 版)
阿佐ヶ谷文士村の歴史は、阿佐ヶ谷地域に中央線の鉄道駅(阿佐ケ谷駅)が大正時代の1922年に開設され徐々に住宅地としてその姿を見せ始めたころから始まった。翌年に起った関東大震災は、東京市内を壊滅させて、家を求めて中央線沿線に多くの人が流れ込むようになった。1927年には後に阿佐ヶ谷文士村の中心人物にあたる井伏鱒二が荻窪の地に住み、阿佐ヶ谷界隈にもよく顔を出すようになる。その流れに乗り、昭和にかけて都心や下町から与謝野晶子、太宰治、青柳瑞穂、伊馬春部、三好達治、火野葦平、徳川夢声など文人文士達も当地界隈に住むようになったのが発端と言われ、阿佐ヶ谷文士村とされた。その代名詞的存在なのが井伏鱒二らが中心となって開かれていた文士達の会合「阿佐ヶ谷会」と呼ばれている会合で、当初は将棋会、戦後は飲み会として多くの文士達が交流を深めた。この交流は1970年代まで続いた。 都市計画で知られた高山英華も幼少期から亡くなるまで阿佐ヶ谷に暮らした。 そのほか、阿佐ヶ谷に住んでいたことが確認されている人物に、横光利一、川端康成(馬橋)、安成二郎、額田六福、小森三好、上林暁、桜井浜江、森本忠、永松定、岸田国士、浜野修、川崎春彦などがいる。
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