関係した主な事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/26 04:49 UTC 版)
首なし事件(1944年) 事件の告発から被告人の有罪が確定した上告審(第三次)まで。 プラカード事件(1946年) 一審から被告人が免訴された上告審まで。 唐紙事件(1949年) 上告審の弁護を担当したが、被告人の有罪が確定した。 贓物衣料切符事件(1949年) 控訴審から被告人の無罪が確定した差戻し審まで。 三鷹事件(1949年) 一審から弁護を担当し、一審判決は正木の主張通りに被告人10人中9人が無罪となったが、全員無罪を主張する他の弁護人らと意見が衝突し、一審判決後に弁護団を脱退。 八海事件(1951年) 控訴審(第一次)判決後から被告人らの無罪が確定した上告審(第三次)まで。 観音堂事件(1951年) 有罪確定後に再審請求を行い、その後の再審で被告人の無罪が確定した。 チャタレー事件(1951年) 一審から被告人らの有罪が確定した上告審まで。 万能事件(1951年) 控訴審から被告人の有罪が確定した上告審まで。 白鳥事件(1951年) 控訴審判決後の一時期に上告趣意書の補充に協力したが、弁護団には加わっていない。 菅生事件(1952年) 控訴審から被告人らの無罪が確定した上告審まで。 石和事件(1953年) 一審から被告人の無罪が確定した控訴審まで。 三里塚事件(1954年) 控訴審から被告人の有罪が確定した上告審までと、その後の再審請求(のちに棄却)。 丸正事件(1955年) 上告審から弁護を担当したが被告人らの有罪が確定。さらに事件の真犯人は被害者の親族らであると名指しで告発したために名誉棄損で正木自身が有罪判決を受けた。三里塚事件及び丸正事件の上告審で最高裁判所調査官になった吉川由己夫(1910-?)は、飯田中学校での教え子の一人。
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